プロパガンダ戦は既に始まっている

 最近、「右傾化」という言葉がやたらと目に付く。「(自民党の)右傾化の傾向は歴然だ」(河野洋平。朝日新聞・12月12日)とか、「世界は安倍自民党の大勝に日本の『右傾化』『保守化』などとレッテルを貼っている。日本の振る舞いが国際社会にどう映るかを常に意識することは大切だ」(毎日新聞社説・12月18日)といった具合だ。なかには「日本社会全体が右傾化している」(毎日新聞・与田論説委員)などという主張すらある。安倍自民党が衆院選で大勝してからは多くの全国紙に連日のように登場していると言ってよかろう。

 この「右傾化」という言葉は、かつては主に左翼陣営がその内部の敵に負のレッテルをはるために「右傾化した」と非難する際に使われてきた。古い話だが、かつての新左翼が共産党に対して「右傾化した」などと言っていたことを思い出す。昭和50年代末、「ニュー社会党」と言い始めた当時の社会党に対して、左派の社会主義協会派が「最近の社会党は右傾化している」などと批判したこともあったと記憶している。

 つまり、左に寄れば寄るほど正義なのだという、くだらない左翼心理が反映した用語だったわけで、社民党や共産党が零細政党となった今の日本ではむしろ死語の類のはずであった。

 にもかかわらず、その「右傾化」が盛んに使われ始めた。恐らく、雰囲気として「負のイメージ」だけはたっぷり含んでいるところから、レッテルばりに使えるということなのだろう。そんな流れに乗ってこんな使い方も登場している。毎日新聞の「憂楽帳」というコラムは「『右傾化』が懸念される年の瀬。語り芸の名手、小沢昭一さんの訃報に……」と時候の挨拶のように使い始めているのだ(12月19日)。こんな便乗組が登場するのは「右傾化」を定着させてしまいかねない危険な兆候と言える。

 

 むろん、現在の「右傾化」はかつての意味とは違っている。では、何か内容があるのかというとそうではない。それは少し考えただけでも分かる話である。

 米国紙の「右傾化」は、主に尖閣諸島問題での中国との緊張関係のなかで日本にナショナリズムが高まっているという対中姿勢の変化と、それに伴う日本の防衛力増強や集団的自衛権行使容認の世論を指している。一方、中国では領空侵犯に対する自衛隊機によるスクランブル、さらには憲法改正や靖国神社参拝問題に対して使っている。

 あえて内容の共通項を探せば、日本の防衛力強化や防衛態勢・法制の整備ということになるが、今、世界でもっとも軍事力を拡大しているのは他ならぬ中国である。しかし、その中国に対しては「右傾化」とは言わない。そればかりか「先軍政治」の北朝鮮が弾道ミサイルを発射しても、それを「右傾化」と言ったマスコミもない。それほどいい加減な使われ方をしているということである。

 

 では、「右傾化」なんて中身のない、いい加減な左翼用語だと放置していいのかというとそうではない。中国が使っても米国の新聞が使っても、さらには内容がどうであれ、その「負のイメージ」は安倍内閣や憲法改正に踏み出そうとしている日本に向けられているという点では一致しているからである。今の「右傾化」は、9月くらいから使われ始めたというが、安倍氏が総裁選出馬を決意した時期と符合する。

 要するに、安倍政権と日本に対する宣伝戦、プロパガンダ戦が始まっているということであり、「右傾化」はそのシンボルとして使われていると考えるべきだということである。その意味で、「右傾化」が中国発なのか米国発なのか、それとも日本発なのかは分からないが、少なくとも尖閣問題で対峙している中国と一緒になって「右傾化だ」と騒いでいる日本の新聞は、中国のプロパガンダ戦の片棒を担いでいると言える。

 「右傾化」という言葉は、そうした戦いが既に始まっているのを示している。いま、南西諸島正面とは別の戦いの、その真っ最中にあるという認識が安倍政権を応援する側に求められている。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』平成25年1月号〉