なぜ中国の深刻な変化を論じないのか

 国会は財務省による文書書き換え事件一色だが、この日本の外ではわが国の存立にも関わる重大問題が生起している。文書書き換えが問題ではないとはいわないが、しかしこれ一色というのは、余りにも異常というべきではないか。

 とりわけここで指摘したいのは中国の動向だ。「中国は2月25日、独裁制から専制政治へと転じた」と英誌エコノミスト(日経3・7)は報じたが、この習近平国家主席が一切の任期制限なく地位に留まることができることになった、という報道ほど世界に深刻な懸念を喚起した事件は最近ないのではと思う。

 となれば、政権の権力集中には歯止めがなくなり、「中華民族の偉大な復興」「社会主義現代化強国実現」など習政権が掲げるスローガンを考えれば、更に「異形な国家」への強硬路線は加速されるばかりとなろう。にもかかわらず、それがわが国会では全く問題とならない。政治とは、時の政府の問題を掘り起こし、追及することが全て、といわんばかりの姿だ。

 エコノミスト誌はこの事実に対し、「西側諸国の中国に対する25年来の賭けが失敗したことを示す強い証拠でもある」とする。つまり、これまで西側指導者は、中国を世界経済の中に招き入れれば、中国をこのシステムによって縛ることができ、またその統合の流れの中で中国を市場経済化し、更にはその経済で国民を豊かにすることを通じ、民主主義や自由、あるいは法の支配を求めるようにもっていくこともできる、と考えてきた。しかし、これが幻想に終わったということだ。「その幻想は砕け散った。現実には彼は政治と経済において抑圧と国家統制、対立を進めていった」と同誌は指摘する。

 ところで、この指摘を受け止めれば、ならばわが国はどうなのか、という話になろう。この中国への思い込みはわが国の多数の政治指導者もむろん例外ではなかった。であるならば、これは当然わが国の経済政策を含めた対中政策、更には外交・安全保障政策の根本の見直しに跳ね返ってくる問題でもあるはず、と筆者は考えるのだ。にもかかわらず、先にも書いたように、わが国会ではそんな問題は改めて論ずべき問題では全くないかのごとく、議論にすらならないのだ。

 一方、さすがは米国である。古森義久氏の指摘によれば、こうした中国の動きを踏まえ、米国では対中政策の「決定的な転換」が既に始まっているという(産経3・13)。

 「米国の対中政策がついに決定的な変革を迎えたようだ。米中国交樹立以来40年近く、歴代政権が保ってきた関与政策が失敗だったという判断が超党派で下されるようになったのである」

 古森氏がその例証としてまず挙げるのが、トランプ政権が昨年末に発表した「国家安全保障戦略」における対中認識だ。これはエコノミスト誌の認識と軌を一にする。

 「ここ数十年の米国の対中政策は中国の台頭と既成の国際秩序への参加を支援すれば中国を自由化できるという考えに基礎をおいてきた。だが中国は米国の期待とは正反対に他の諸国の主権を力で侵害し、自国側の汚職や独裁の要素を国際的に拡散している」

 しからばこれに対し、わが国はどうすればよいのか。筆者には簡単に思い浮かぶ答えはないが、古森氏の指摘によれば、オバマ政権時代の国務次官補、カート・キャンベル氏(民主党系)は同様の問いに対し、「まずこれまでの対中政策がどれほどその目標の達成に失敗したかを率直に認めることが重要である」と指摘しているという。

 まず失敗の認識が優先するということだ。報道を見ていると、この肝心な認識がわが国には全く共有されていない。まず問題とすべきは、むしろこちらの方ではないか。(日本政策研究センター 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成30年4月号〉