誰がこの難題に立ち向かえるのか?

 安倍政権が危機に直面している。朝日等の左派メディアは、今や倒閣運動機関誌と化したかのごとく、連日安倍政権への批判で盛り上がっている。しかし、ならばこの政権に代わり、どのような政権が今の日本に相応しく、彼らが推奨する政権とは果たしてどのようなものなのか、といった肝心な提案は一切そこには見られない。ただ国民の不満に火をつけ、それを煽って悦に入っているかのごとくだ。

 ところで、安倍政権はなぜこのような状況に陥ったのか。表面上の問題はひとまず措き、その根底にある根本的な原因ということでいえば、皮肉なことに「安倍一強」の現実がこの事態を招いた、ともいえるのではないか。

 第二次安倍政権の誕生以来、国会では与党による圧倒的多数の状況が続いてきた。野党第一党の民進党はこれに有効に対抗する術を見出せず、結果として単なる抵抗政党に堕し、ついには「民共共闘」という路線に迷い込む他なかった。メディアも同様で、安倍政権が余りにも次々と重要政策課題を繰り出してくるのに対し、それへの受け身的対応に追い込まれ、あれやこれやの理屈や抵抗策を弄している間に、いつの間にか報道というよりプロパガンダという、真実そっちのけのネガティブ・キャンペーン一辺倒の論調に落ち込むこととなった、と考えるからだ。

 その結果が、ともかく安倍政権の足を引っ張れるものなら何でも持ち出し、それによって抵抗するという今日の現実であろう。国会が閉会中にも審査を行うのは誠に結構なことだが、その主題が北朝鮮ミサイルへの対応や先日の豪雨災害への対策というような「今ここにある」重要課題ではなく、ただ加計学園問題に留まるという現実に、問題の本質を見る気がしてならない。

 あえて単純化していえば、今安倍政権への攻撃に盛り上がっている勢力は、今日の日本が内外で抱える本来の課題から目をそらし、ただ安倍打倒の目的のみで大騒ぎしているだけに他ならない、ということだ。これでは一時は支持は得られたとしても、その間に本来日本が対処すべき重要課題解決の機会は失われていく。問題はこの日本の存立であり国益であり、疑惑追及は時には不可欠だとしても、ただ連日朝から晩までこれのみというのは、どう考えてもこの本来の「国家的課題」忘却の度が過ぎるといえよう。

 むろん、安倍政権に何ら問題がないという話でもない。ここでも「安倍一強」が因をなしているともいえるが、余りの野党側、反対勢力側の抵抗ぶりに、いつの間にかまともに答弁する意欲を失い、木で鼻を括るような対応に陥り、逆に国民の側から反感をもたれてしまった、という問題はあるからだ。やはり事を進めるには、丁寧な説明もまた肝要ということであろう。

 事あれかしと思う向きは、早くも「ポスト安倍」を論じ始めてもいる。しかし、ここで問うべきは、ならばその政権はこの日本を、この厳しい世界の現実の中でどのような方向に導き、またどんな日本を作ろうとしているのか、ということである。果たしてこの問いに信念をもって正面から答えられる政治家は他にいるのか、ということだ。

 日本は今、かつてない厳しい環境の中にある。その中で、今われわれが考えるべきは、一体誰がこの難題に立ち向かえるのか、ということに他ならない。「安倍一強」の構図に異変となれば、早速蠢き始めるのが政界であり、またメディアではある。しかし、問題はあくまでもこの日本の存立であり、この存立のための国家の舵取りではないか。これを単なる国民による「政権不信」などというメディア論理により没却せしめられてはならない。今必要なのは、国民の一日も早いこの現実への覚醒であり、巧妙きわまる情報操作からの脱却なのだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成29年8月号〉