「女性宮家」問題・野党の策動に警戒を緩めるな

 天皇の「譲位」に関わる特例法が成立した。「譲位」そのものには強い反対論があったとはいえ、このような形でともかく決着に至ったのは、かかる法律は何としても「与野党の一致」で、との思いがあったからで、とりあえず安堵させられる結末ではあった。

 とはいえ、最終的な決着に至る過程で一部野党の首を傾げざるを得ない振る舞いがあったことは銘記しておく必要がある。彼らはかかる「与野党一致」を義務づけられた政府与党の立場を人質に取り、これを女性天皇、更には女系天皇への突破口にしようと公然たる画策に出たからだ。

 策動は三月十七日の、この問題に関わる衆参正副議長による「議論のとりまとめ」で表面化した。この中に、「安定的な皇位継承を確保するための女性宮家の創設等については……各政党・各会派間において協議を行い、付帯決議に盛り込むこと等を含めて合意を得るよう努力していただきたい」との文言が入ったからだ。「女性宮家」が突如「安定的な皇位継承を確保するため」という位置づけとなり、それを推進するかのごとき話に、わが眼を疑ったのは筆者だけではなかろう(傍線筆者)。

 というのも、この「女性宮家」なるものを、このように位置づけるとなれば、それなりの徹底した議論があって当然であるからだ。にもかかわらず、さしたる議論もないまま、前記した文言が唐突に入った。自民党は前記した人質を盾に迫られたのであろう。しかし、関係者がどの程度考えたかはともかく、これは女系天皇実現へ向けて「女性宮家」を位置づける文言であることは疑いがない。これが突如、いわば「国会の意思」という形で登場したのだ。

 この策動の張本人は民進党の野田幹事長であったとされる。しかし、筆者にとって許し難いのは、この当の野田氏は総理在任中、この「女性宮家」は皇位継承の問題とは全く関係ない、つまりこれはあくまでも婚姻後の女性皇族の活動続行に限定したもの、と真逆なことをいっていたということだ。それどころか、次のようにも述べていたのだ。

 「第二条、それから皇室典範の一条でこれは男系というふうに明記しています。古来、ずっと長くそういう形で続いてきたことの歴史的な重みというものをしっかりと受け止めながら……議論させていただきます」(衆院予算委、平成24年2月9日)

 かく男系維持を総理として明言していた野田氏が、突如自らの「変節」に対する何らの断りもなく、「女系天皇」のための「女性宮家」創設をいい出したのである。そして、何としても与野党一致の成立という与党の弱みをつき、このような合意を迫ったのだ。むろん、女系天皇をめざす主張をして悪いというのではない。しかし、かく総理として主張していた氏がその自説を一八〇度変えるとなれば、それなりの説明があるのが当然だろう。かつての総理としての約束、信義はどうなるのか、と国民としては逆に問わねばならないからだ。

 ちなみに、野田政権時代には次のような藤村官房長官による答弁も行われていた。

 「女性宮家の定義というのは必ずしも明らかではなく……政府としてはこの女性宮家という言葉は、これはいわゆるとか新聞報道によればという、そういう使い方でしか多分ないと思います」(参院内閣委、同24年3月22日)

 かつて民間から皇室に入り、「女性宮家」なるものの一員となり、皇族となった男子、などというものは実は歴史的に存在しない。だから政府としてもこの「女性宮家」という言葉には限定づけをしていたのだ。付帯決議では幸い一線が守られ、「女性宮家」は皇位継承とは別の話となった。しかし、以上の経緯を考えれば策動は今後も続こう。心ある国民は何としてもこの策動に警戒を緩めてはならない。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』平成29年7月号〉