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	<title>アーカイブス</title>
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	<language>ja</language>
	<copyright>Copyright 2008</copyright>
	<pubDate>Thu, 28 Aug 2008 14:35:41 +0000</pubDate>
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		<title>【恵岡隆一レポート№45】驚き情報「北朝鮮の人口は１８００万人」</title>
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		<pubDate>Thu, 28 Aug 2008 11:14:55 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;i&amp;#110;f&amp;#111;&amp;#64;&amp;#115;e&amp;#105;&amp;#115;&amp;#97;&amp;#107;&amp;#117;&amp;#45;&amp;#99;e&amp;#110;ter.&amp;#110;e&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>朝鮮半島研究プロジェクト</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=570</guid>
		<description>	朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年8月28日【恵岡隆一レポート№45】
驚き情報「北朝鮮の人口は１８００万人」
　今年の８月１５日に発売された『わたしの娘を１００ウォンで売ります』（晩聲社刊、1575円）は、「３００万人の餓死者のことを暴露しなければならない」という使命感を持って脱北した張真晟氏（仮名）の詩集であるが、どこかを数ページ読むだけで、北朝鮮国民の惨状と金正日政権の暴圧をたちどころに理解できるすばらしい告発詩集である。著者も「北朝鮮のルポとして読まれることを期待している」と述べている。万巻の専門書や報道よりも、この書のたった数ページで北朝鮮の現状を感知できる。その一部を下記に紹介するが、その前に、解説を書いた一人、洪?氏（早稲田大学客員研究員）の文中に、「北朝鮮の人口は１８００万人（2003年）」という記述がある。これは日本では初めての驚くべき情報で、まずこの点から報告したい。
&amp;nbsp;
◆「３００万人以上餓死後人口増加なし」
　「今年の１月、平壌の高官だった脱北者が驚くべき証言をした。彼は、『自分が労働党の核心部署から聞いたことでは、労働党が最高人民会議代議員の選挙（２００３年８月）のため人口調査をしたら、なんと１８００万人だったそうだ』、『１９９４－９８年の４年間で３００万人以上が飢え死にした以降も人口の増加はなかった』と証言した（趙甲済ドットコム08.01.25）」。&amp;nbsp;&amp;nbsp;また、「今、北朝鮮では新生児の体重がほとんど２kgを越えないとも伝えられている」と伝えている。
　ホン・ヒュン氏も紹介しているが、北朝鮮は徴兵制度を変更し、従来の「身長１４８センチ以上、体重４３kg以上」を撤回し、健康であればすべての若者を徴兵対象者に変更した。徴兵基準値も驚きだが、北朝鮮における人権侵害の惨状も物語る情報である。
　毎年餓死が１００万人と言われた９６、９７、９８年に生まれた子どもたちは、例年よりかなり少ないと考えられるが、その子どもたちが現在１０～１２歳になる。北朝鮮では、満１６、１７歳から男子は約１０年間徴兵されるが、あと４、５年もすると約１１０万人とされる兵士の充足率が急減することは間違いない。すでにその傾向が生じているのであろう。
　当時、金正日が大量餓死を防ぐための緊急食糧輸入を行わず、餓死を放置した結果、１２年経って、青少年人口が不足し、今後、軍事面のみならず経済面でも困難な状況に直面することになる。
　さて、「１８００万人」の真偽であるが、北朝鮮では最高人民会議代議員選挙前の人口調査時に長期不在を続けていると、大変な目にあうというから、食糧調達などで遠方に出かけていた人々も一旦帰り、脱北者でも帰ってくる人がかなりいるという。１８００万という数値は、把握率がかなり高いと考えていいのであろう。それでも多くの脱北者や、放浪者等補足されない人もいるだろうから、実際の人口は若干上回ると考えられる。しかし、それにしても１８００万人は驚くべき低い数値であるが、実情にかなり近いと考えられる。
　さて、今年１月１６日の記事では、「北朝鮮の人口が２００４年現在で２３６１万２０００人であることが共同通信が１６日までに入手した「朝鮮中央通信年鑑２００７年版」（同通信社発行）で判明した」と報道された。「１８００万人」と比べ、なんと５６１万人もの差がある。
　同年鑑では、「１９９６年２２１１万人、９７年２２３６万人、９８年２２５５万人」と、飢餓の時期にも年平均約１５万人ずつ増加したことになっている。その後も、「９９年２２７５万人、２０００年２２９６万人、０１年２３１５万人、０２年２３３１万人、２００３年記載なし、２００４年２３６１万人」と年平均約１７万人ずつ増加している。
　北朝鮮が初めて食糧の人道支援を国際社会に訴えたのは１９９５年であった。この時点でかなりの餓死が始まっていたと思われる。平壌の元高官の証言通り、「４年間で３００万人以上が飢え死にした以降も人口の増加はなかった」とすれば、９８年頃に１９００万人程度に減少し、その後も人口に変化がなかったことになる。
&amp;nbsp;
◆北朝鮮が人口「調査」
　北朝鮮では、食糧統計が水増しされている。協同農場がノルマ達成のために穀物を乾燥しない、異物を混入させるなど、文字通り水増しして地域の機関に届ける。地域機関は、それをさらに水増しし、上位組織に報告する。しかし、多数の収穫があったことを前提に特権層が配給を受けると、下部に残された食糧が極端に少なくなる。収穫が少なければ餓死が発生する。
　人口についても、著しい減少を届け出ると管理責任が問われるので偽の報告がなされる。大量餓死では金正日政権の正統性も問われるので、上部でも偽の報告をそのまま統計数値とする。餓死が１００万人と言われた９６、９７、９８年でも人口増加となっているのはそういう背景からだろう。また人口が多い方が一人当たり食料を少なく見せることができ、国際社会の援助を得やすいから上部でも黙認する。そして国際援助の配分は特権層中心となる。さらに、みなし人口分を地方幹部が横取りできる。こういう独特の社会構造により人口が多めに設定され、現実問題として徴兵制などの現場で困難に直面したということであろう。しかし、人口急減は金正日政権の大きな危機ともなる。
　また、北朝鮮は今年、韓国からの食糧・肥料支援を拒否したが、北朝鮮の農村では本格的な施肥期に深刻な肥料不足となった。肥料不足は同量の食糧以上の大きな収穫減につながる。更に今年は天候悪化で収穫減が予想されている。今年も来年も食糧問題は深刻で、国際食糧機関（ＷＦＰ）は、「１０年ぶりの最悪の食糧危機を迎えている」と発表している他、今年５月の米下院財務委員会では、「１９９０年代中盤に発生した都市型飢饉と似ており、政治的爆発につながる可能性がある」との証言もなされている。
　今年は、北朝鮮当局が国連人口基金（ＵＮＦＰＡ）と共同で、１０月に本格的な人口調査を実施すると公表された。韓国政府も費用負担400万ドル（約4億３千万円）で協力することとなっている。その報告に注目したいが、正直なデータを出すと金正日政権の面子にもかかわるだけに、データは改ざんされ、調査費用の一部は横取りということになるのではあるまいか。金正日政権は危機続きとなる。
&amp;nbsp;
◆張真晟氏の詩集から
わたしたちは　ご飯を　食べる
とうもろこしの　何粒かでも　あれば　わたしたちは　言う食事にしようとえぐい　木の皮を　噛みながらも　わたしたちは思う　ご飯を　食べたと塩を　入れた　真水　一気に　飲んで　それすらも　ご飯と　言うご飯　その　言葉さえ　なかったら　食べたと　言うことも　なくなるだろうに
&amp;nbsp;
ご飯と言えば
ご飯と言えば　緑の　草粥だと　思い込んでいた　こども誕生日に　白い米の　ご飯を出したら　いやだと　ダダを　こねるご飯を　くれと　わたしの胸　かきむしる
&amp;nbsp;
こどもの　夢
夢の中で　こどもは　なにを　見たからと　夜　外へ　走り出たのだろうか夢の中で　こどもは　なにを　見たからと　銃を　撃つ　軍隊も　恐れなかったのか夢の中で　こどもは　なにを　見たからと　手に　それを　しっかり　握ったまま　死んだのかその夢は　死んでも　放さなかった　その夢は　ちいさな　とうもろこしが　ひとつ
&amp;nbsp;
宮殿
その宮殿は　生きている　人のための　ものではない数兆ウォンを　稼ぐために　億万金を　投じた　ものでもない死んだ　ただ　一人を　祀る　ために三百万人が　飢えて　死んだ　まっただ中に　華麗に　屹立し天を衝き　聳え立つだれもが　沈痛な　思いで　仰ぎ見る　三百万人の　墳墓
※宮殿とは、金日成のために多額の外貨を使って作られた錦繍山記念宮殿のことであろう。
（平田隆太郎）
レポート一覧はこちら

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><font color=#0000ff>朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年8月28日<br />【恵岡隆一レポート№45】</font></p>
	<h2><font color=#0000ff>驚き情報「北朝鮮の人口は１８００万人」</font></h2>
	<p>　今年の８月１５日に発売された『わたしの娘を１００ウォンで売ります』（晩聲社刊、1575円）は、「３００万人の餓死者のことを暴露しなければならない」という使命感を持って脱北した張真晟氏（仮名）の詩集であるが、どこかを数ページ読むだけで、北朝鮮国民の惨状と金正日政権の暴圧をたちどころに理解できるすばらしい告発詩集である。著者も「北朝鮮のルポとして読まれることを期待している」と述べている。万巻の専門書や報道よりも、この書のたった数ページで北朝鮮の現状を感知できる。その一部を下記に紹介するが、その前に、解説を書いた一人、洪?氏（早稲田大学客員研究員）の文中に、「北朝鮮の人口は１８００万人（2003年）」という記述がある。これは日本では初めての驚くべき情報で、まずこの点から報告したい。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆「３００万人以上餓死後人口増加なし」</h3>
	<p>　「今年の１月、平壌の高官だった脱北者が驚くべき証言をした。彼は、『自分が労働党の核心部署から聞いたことでは、労働党が最高人民会議代議員の選挙（２００３年８月）のため人口調査をしたら、なんと１８００万人だったそうだ』、『１９９４－９８年の４年間で３００万人以上が飢え死にした以降も人口の増加はなかった』と証言した（趙甲済ドットコム08.01.25）」。<br />&nbsp;<br />&nbsp;また、「今、北朝鮮では新生児の体重がほとんど２kgを越えないとも伝えられている」と伝えている。</p>
	<p>　ホン・ヒュン氏も紹介しているが、北朝鮮は徴兵制度を変更し、従来の「身長１４８センチ以上、体重４３kg以上」を撤回し、健康であればすべての若者を徴兵対象者に変更した。徴兵基準値も驚きだが、北朝鮮における人権侵害の惨状も物語る情報である。</p>
	<p>　毎年餓死が１００万人と言われた９６、９７、９８年に生まれた子どもたちは、例年よりかなり少ないと考えられるが、その子どもたちが現在１０～１２歳になる。北朝鮮では、満１６、１７歳から男子は約１０年間徴兵されるが、あと４、５年もすると約１１０万人とされる兵士の充足率が急減することは間違いない。すでにその傾向が生じているのであろう。</p>
	<p>　当時、金正日が大量餓死を防ぐための緊急食糧輸入を行わず、餓死を放置した結果、１２年経って、青少年人口が不足し、今後、軍事面のみならず経済面でも困難な状況に直面することになる。</p>
	<p>　さて、「１８００万人」の真偽であるが、北朝鮮では最高人民会議代議員選挙前の人口調査時に長期不在を続けていると、大変な目にあうというから、食糧調達などで遠方に出かけていた人々も一旦帰り、脱北者でも帰ってくる人がかなりいるという。１８００万という数値は、把握率がかなり高いと考えていいのであろう。それでも多くの脱北者や、放浪者等補足されない人もいるだろうから、実際の人口は若干上回ると考えられる。しかし、それにしても１８００万人は驚くべき低い数値であるが、実情にかなり近いと考えられる。</p>
	<p>　さて、今年１月１６日の記事では、「北朝鮮の人口が２００４年現在で２３６１万２０００人であることが共同通信が１６日までに入手した「朝鮮中央通信年鑑２００７年版」（同通信社発行）で判明した」と報道された。「１８００万人」と比べ、なんと５６１万人もの差がある。</p>
	<p>　同年鑑では、「１９９６年２２１１万人、９７年２２３６万人、９８年２２５５万人」と、飢餓の時期にも年平均約１５万人ずつ増加したことになっている。その後も、「９９年２２７５万人、２０００年２２９６万人、０１年２３１５万人、０２年２３３１万人、２００３年記載なし、２００４年２３６１万人」と年平均約１７万人ずつ増加している。</p>
	<p>　北朝鮮が初めて食糧の人道支援を国際社会に訴えたのは１９９５年であった。この時点でかなりの餓死が始まっていたと思われる。平壌の元高官の証言通り、「４年間で３００万人以上が飢え死にした以降も人口の増加はなかった」とすれば、９８年頃に１９００万人程度に減少し、その後も人口に変化がなかったことになる。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆北朝鮮が人口「調査」</h3>
	<p>　北朝鮮では、食糧統計が水増しされている。協同農場がノルマ達成のために穀物を乾燥しない、異物を混入させるなど、文字通り水増しして地域の機関に届ける。地域機関は、それをさらに水増しし、上位組織に報告する。しかし、多数の収穫があったことを前提に特権層が配給を受けると、下部に残された食糧が極端に少なくなる。収穫が少なければ餓死が発生する。</p>
	<p>　人口についても、著しい減少を届け出ると管理責任が問われるので偽の報告がなされる。大量餓死では金正日政権の正統性も問われるので、上部でも偽の報告をそのまま統計数値とする。餓死が１００万人と言われた９６、９７、９８年でも人口増加となっているのはそういう背景からだろう。また人口が多い方が一人当たり食料を少なく見せることができ、国際社会の援助を得やすいから上部でも黙認する。そして国際援助の配分は特権層中心となる。さらに、みなし人口分を地方幹部が横取りできる。こういう独特の社会構造により人口が多めに設定され、現実問題として徴兵制などの現場で困難に直面したということであろう。しかし、人口急減は金正日政権の大きな危機ともなる。</p>
	<p>　また、北朝鮮は今年、韓国からの食糧・肥料支援を拒否したが、北朝鮮の農村では本格的な施肥期に深刻な肥料不足となった。肥料不足は同量の食糧以上の大きな収穫減につながる。更に今年は天候悪化で収穫減が予想されている。今年も来年も食糧問題は深刻で、国際食糧機関（ＷＦＰ）は、「１０年ぶりの最悪の食糧危機を迎えている」と発表している他、今年５月の米下院財務委員会では、「１９９０年代中盤に発生した都市型飢饉と似ており、政治的爆発につながる可能性がある」との証言もなされている。</p>
	<p>　今年は、北朝鮮当局が国連人口基金（ＵＮＦＰＡ）と共同で、１０月に本格的な人口調査を実施すると公表された。韓国政府も費用負担400万ドル（約4億３千万円）で協力することとなっている。その報告に注目したいが、正直なデータを出すと金正日政権の面子にもかかわるだけに、データは改ざんされ、調査費用の一部は横取りということになるのではあるまいか。金正日政権は危機続きとなる。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆張真晟氏の詩集から</h3>
	<p><strong>わたしたちは　ご飯を　食べる</strong></p>
	<p>とうもろこしの　何粒かでも　あれば　わたしたちは　言う<br />食事にしようと<br />えぐい　木の皮を　噛みながらも　わたしたちは思う　ご飯を　食べたと<br />塩を　入れた　真水　一気に　飲んで　それすらも　ご飯と　言う<br />ご飯　その　言葉さえ　なかったら　食べたと　言うことも　なくなるだろうに</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p><strong>ご飯と言えば</strong></p>
	<p>ご飯と言えば　緑の　草粥だと　思い込んでいた　こども<br />誕生日に　白い米の　ご飯を出したら　いやだと　ダダを　こねる<br />ご飯を　くれと　わたしの胸　かきむしる</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p><strong>こどもの　夢</strong></p>
	<p>夢の中で　こどもは　なにを　見たからと　夜　外へ　走り出たのだろうか<br />夢の中で　こどもは　なにを　見たからと　銃を　撃つ　軍隊も　恐れなかったのか<br />夢の中で　こどもは　なにを　見たからと　手に　それを　しっかり　握ったまま　死んだのか<br />その夢は　死んでも　放さなかった　その夢は　ちいさな　とうもろこしが　ひとつ</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p><strong>宮殿</strong></p>
	<p>その宮殿は　生きている　人のための　ものではない<br />数兆ウォンを　稼ぐために　億万金を　投じた　ものでもない<br />死んだ　ただ　一人を　祀る　ために<br />三百万人が　飢えて　死んだ　まっただ中に　華麗に　屹立し<br />天を衝き　聳え立つ<br />だれもが　沈痛な　思いで　仰ぎ見る　三百万人の　墳墓</p>
	<p>※宮殿とは、金日成のために多額の外貨を使って作られた錦繍山記念宮殿のことであろう。</p>
	<p align=right>（平田隆太郎）</p>
<a href="/modules/wordpress/index.php?cat=29"></p>
	<p align=right>レポート一覧はこちら</p>
</a>
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>【恵岡隆一レポート№44】拉致調査やり直しをどう見るか―不透明な北の狙い</title>
		<link>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=569</link>
		<comments>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=569#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 21 Aug 2008 16:17:13 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;i&amp;#110;&amp;#102;&amp;#111;&amp;#64;seis&amp;#97;&amp;#107;&amp;#117;&amp;#45;c&amp;#101;&amp;#110;t&amp;#101;&amp;#114;&amp;#46;&amp;#110;e&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>朝鮮半島研究プロジェクト</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=569</guid>
		<description>	朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年8月21日【恵岡隆一レポート№44】
拉致調査やり直しをどう見るか
不透明な北の狙い
&amp;nbsp;
　8月11日、12日、中国瀋陽で日朝実務者協議が開かれた。6月の協議で北朝鮮は「拉致は解決済み」という従来の立場を変更し「調査やりなおし」を約束し、それを受け我が国は一部制裁解除を約束していた。今回の協議は、その具体的詰めが議題だった。協議の結果、以下の合意がなされた。斎木局長の説明によると、合意内容については双方が一言づつ表現を確認したという。
	・北朝鮮側が拉致問題の解決に向けた具体的な行動を取るために、生存者を発見し帰国させるための、拉致被害者に関する全面的な調査を行う（すべての拉致被害者が対象）。
・北朝鮮側は、権限を与えられた調査委員会を立ち上げ、調査を迅速に行い、可能な限り今年の秋には終了すること。
・調査の進捗の過程について、北朝鮮側は、日本側に随時通報し、協議を行うこと。
・北朝鮮側は、日本側が関係者との面談、関係資料の共有、関係場所への訪問などを通じて、調査の結果を直接確認できるように協力すること。
・今後、北朝鮮が調査委員会を立ち上げ、調査を開始することと並行する形で、日本側は人的往来及び航空チャーター便に関する規制の緩和を行うことを確認した。具体的なタイミングについては今後調整して確定していく。
&amp;nbsp;
◆制裁は効いている
　北朝鮮が今回、見返りに求めてきたものは二つである。米国のテロ支援国指定解除と、わが国の制裁解除だ。この二つとも、飴と鞭というたとえで考えると、鞭の軽減を調査の見返りとして求めてきている。これは、これまでの拉致問題を巡る交渉とは大きく異なっている。これまで、北朝鮮は拉致問題に関する調査を合計4回行った。1998年、2000年、2002年、2004年である。この4回はすべて飴、すなわち食料や大規模経済支援の提供を約束されてはじめて拉致問題の調査に応じた。先述の通り今回は制裁の軽減が彼らの要求だった。制裁は大変効いているということだ。
　とくに、今回、北朝鮮が「朝鮮総連の『弾圧』や我が国による北朝鮮に対する措置に対する批判」（斎木局長報告）をしてきたことは、それだけ、2005年安倍官房長官就任以来、わが国政府が進めている「現行法制度の下での厳格な法執行」（拉致対策本部作成「拉致問題における今後の対応方針」2006年10月）が効いていることを意味する。わたしたちは制裁と国際連帯の圧力によって、北朝鮮を拉致問題の交渉の場に引きずりだすことには成功したのだ。その点、自信を持つべきだ。そして、だからこそ安易に効果を上げている制裁を安易に解除してはならない。
　山崎拓、加藤紘一、岩国哲人氏ら融和派議員らは膠着状態を打開するために超党派の議員団で訪朝すると語っていた。しかし、彼らが北朝鮮に行く前に、北朝鮮は拉致問題での協議に応じた。しかも、彼らが批判の的にしていた中山恭子氏が補佐官から拉致問題担当大臣に格上げされた直後に、協議は進んだ。山崎氏らは「安倍政権以降の制裁の圧力で北朝鮮を交渉に引きずりだす」という政策が膠着状態を生んだと批判してきたが、それは間違いだということを北朝鮮が行動で証明したわけだ。
&amp;nbsp;
◆北朝鮮の狙いは何か
　北朝鮮が「全面的調査」でどのような回答をしてくるのかは、予断を許さない。それなのに、調査委員会立ち上げの時点で、制裁の一部解除を行うことは拙速だ。すべての被害者が帰国する道筋ができるまで絶対に制裁を解除すべきではないと改めて強調したい。
　一方、「生存者を発見し帰国させるための、拉致被害者に関する全面的な調査を行う（すべての拉致被害者が対象）」という合意がなされたことは一定の評価ができる。でたらめな回答が出てきたり、調査がいつまでも続いたりした場合に、制裁を再度かけることはできるからだ。政府内でもそのことについて腹合わせが行われていると聞く。
　北朝鮮の狙いが、対日交渉を遅延させて核問題を巡る交渉だけをどんどん進めて「拉致にこだわる日本」を６者協議の中で孤立化させようとすることだとすると、「調査を迅速に行い、可能な限り今年の秋には終了すること」と約束させたことでその実現はある程度困難になったといえるだろう。
　北朝鮮の狙いが、朝鮮総連などに対するわが国の法執行をやわらげ、日朝正常化をめざし対日交渉を進めることにあるのかもしれない。その場合でもきちんとした調査を実施して被害者を帰国させる可能性と、新たにねつ造した死亡証拠提出の可能性の二つがあり得る。後者の場合、これまでの北朝鮮のやりかたからして、横田めぐみさんの両親をターゲットにして、孫との再会や「遺骨」を使ってあらたな揺さぶりをかけてくることが想定される。しかし、たとえば孫にウソをつかせてそれが発覚したり、もう一度偽遺骨を出してきたりした場合、日朝関係は現在よりももっと悪化する。
　一番懸念されるのは、生存者を現段階で傷つけたり殺したりして「遺骨」を作り出すことだ。しかし、強調しておくが、日本の最新技術ではDNA鑑定でその骨がだれのものかを特定するだけでなく、おおよそいつ死んだのかについても調べることができる。めぐみさんたちが２００８年に死んだことが判明すれば「虐殺」である。そうなれば、わが国は個別的自衛権を発動し、国連安保理での軍事制裁を求めるべきだ。日朝関係は最悪になり、国交正常化など不可能になる。
　北朝鮮がこの段階でなぜ、この時点で北朝鮮が口約束ではあるが態度を変えたのか。すなわち、「拉致は解決済み」とする従来の立場を覆し「被害者に関する全面的な調査」を実施することを約束したのか。その真相は、この秋に出される調査結果がどのようなものになるかで判明するだろう。
　いまは、効果を上げている制裁を安易に軽減することなく、北朝鮮の出方を慎重に見守る時期だ。（本レポート内容は救う会メールニュースで発表したものとほぼ重なっている）。（西岡　力）
レポート一覧はこちら

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><font color=#0000ff>朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年8月21日<br />【恵岡隆一レポート№44】</font></p>
	<h2><font color=#0000ff>拉致調査やり直しをどう見るか</font></h2>
	<h3><font color=#0000ff>不透明な北の狙い</font></h3>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>　8月11日、12日、中国瀋陽で日朝実務者協議が開かれた。6月の協議で北朝鮮は「拉致は解決済み」という従来の立場を変更し「調査やりなおし」を約束し、それを受け我が国は一部制裁解除を約束していた。今回の協議は、その具体的詰めが議題だった。協議の結果、以下の合意がなされた。斎木局長の説明によると、合意内容については双方が一言づつ表現を確認したという。</p>
	<blockquote dir=ltr style="MARGIN-RIGHT: 0px">
	<p>・北朝鮮側が拉致問題の解決に向けた具体的な行動を取るために、生存者を発見し帰国させるための、拉致被害者に関する全面的な調査を行う（すべての拉致被害者が対象）。</p>
	<p>・北朝鮮側は、権限を与えられた調査委員会を立ち上げ、調査を迅速に行い、可能な限り今年の秋には終了すること。</p>
	<p>・調査の進捗の過程について、北朝鮮側は、日本側に随時通報し、協議を行うこと。</p>
	<p>・北朝鮮側は、日本側が関係者との面談、関係資料の共有、関係場所への訪問などを通じて、調査の結果を直接確認できるように協力すること。</p>
	<p>・今後、北朝鮮が調査委員会を立ち上げ、調査を開始することと並行する形で、日本側は人的往来及び航空チャーター便に関する規制の緩和を行うことを確認した。具体的なタイミングについては今後調整して確定していく。</p></blockquote>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆制裁は効いている</h3>
	<p>　北朝鮮が今回、見返りに求めてきたものは二つである。米国のテロ支援国指定解除と、わが国の制裁解除だ。この二つとも、飴と鞭というたとえで考えると、鞭の軽減を調査の見返りとして求めてきている。これは、これまでの拉致問題を巡る交渉とは大きく異なっている。これまで、北朝鮮は拉致問題に関する調査を合計4回行った。1998年、2000年、2002年、2004年である。この4回はすべて飴、すなわち食料や大規模経済支援の提供を約束されてはじめて拉致問題の調査に応じた。先述の通り今回は制裁の軽減が彼らの要求だった。制裁は大変効いているということだ。</p>
	<p>　とくに、今回、北朝鮮が「朝鮮総連の『弾圧』や我が国による北朝鮮に対する措置に対する批判」（斎木局長報告）をしてきたことは、それだけ、2005年安倍官房長官就任以来、わが国政府が進めている「現行法制度の下での厳格な法執行」（拉致対策本部作成「拉致問題における今後の対応方針」2006年10月）が効いていることを意味する。わたしたちは制裁と国際連帯の圧力によって、北朝鮮を拉致問題の交渉の場に引きずりだすことには成功したのだ。その点、自信を持つべきだ。そして、だからこそ安易に効果を上げている制裁を安易に解除してはならない。</p>
	<p>　山崎拓、加藤紘一、岩国哲人氏ら融和派議員らは膠着状態を打開するために超党派の議員団で訪朝すると語っていた。しかし、彼らが北朝鮮に行く前に、北朝鮮は拉致問題での協議に応じた。しかも、彼らが批判の的にしていた中山恭子氏が補佐官から拉致問題担当大臣に格上げされた直後に、協議は進んだ。山崎氏らは「安倍政権以降の制裁の圧力で北朝鮮を交渉に引きずりだす」という政策が膠着状態を生んだと批判してきたが、それは間違いだということを北朝鮮が行動で証明したわけだ。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆北朝鮮の狙いは何か</h3>
	<p>　北朝鮮が「全面的調査」でどのような回答をしてくるのかは、予断を許さない。それなのに、調査委員会立ち上げの時点で、制裁の一部解除を行うことは拙速だ。すべての被害者が帰国する道筋ができるまで絶対に制裁を解除すべきではないと改めて強調したい。</p>
	<p>　一方、「生存者を発見し帰国させるための、拉致被害者に関する全面的な調査を行う（すべての拉致被害者が対象）」という合意がなされたことは一定の評価ができる。でたらめな回答が出てきたり、調査がいつまでも続いたりした場合に、制裁を再度かけることはできるからだ。政府内でもそのことについて腹合わせが行われていると聞く。</p>
	<p>　北朝鮮の狙いが、対日交渉を遅延させて核問題を巡る交渉だけをどんどん進めて「拉致にこだわる日本」を６者協議の中で孤立化させようとすることだとすると、「調査を迅速に行い、可能な限り今年の秋には終了すること」と約束させたことでその実現はある程度困難になったといえるだろう。</p>
	<p>　北朝鮮の狙いが、朝鮮総連などに対するわが国の法執行をやわらげ、日朝正常化をめざし対日交渉を進めることにあるのかもしれない。その場合でもきちんとした調査を実施して被害者を帰国させる可能性と、新たにねつ造した死亡証拠提出の可能性の二つがあり得る。後者の場合、これまでの北朝鮮のやりかたからして、横田めぐみさんの両親をターゲットにして、孫との再会や「遺骨」を使ってあらたな揺さぶりをかけてくることが想定される。しかし、たとえば孫にウソをつかせてそれが発覚したり、もう一度偽遺骨を出してきたりした場合、日朝関係は現在よりももっと悪化する。</p>
	<p>　一番懸念されるのは、生存者を現段階で傷つけたり殺したりして「遺骨」を作り出すことだ。しかし、強調しておくが、日本の最新技術ではDNA鑑定でその骨がだれのものかを特定するだけでなく、おおよそいつ死んだのかについても調べることができる。めぐみさんたちが２００８年に死んだことが判明すれば「虐殺」である。そうなれば、わが国は個別的自衛権を発動し、国連安保理での軍事制裁を求めるべきだ。日朝関係は最悪になり、国交正常化など不可能になる。</p>
	<p>　北朝鮮がこの段階でなぜ、この時点で北朝鮮が口約束ではあるが態度を変えたのか。すなわち、「拉致は解決済み」とする従来の立場を覆し「被害者に関する全面的な調査」を実施することを約束したのか。その真相は、この秋に出される調査結果がどのようなものになるかで判明するだろう。</p>
	<p>　いまは、効果を上げている制裁を安易に軽減することなく、北朝鮮の出方を慎重に見守る時期だ。（本レポート内容は救う会メールニュースで発表したものとほぼ重なっている）。（西岡　力）</p>
<a href="/modules/wordpress/index.php?cat=29"></p>
	<p align=right>レポート一覧はこちら</p>
</a>
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>続・日本を「移民国家」にしてもよいのか</title>
		<link>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=568</link>
		<comments>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=568#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 16 Aug 2008 05:36:57 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;i&amp;#110;&amp;#102;o&amp;#64;&amp;#115;e&amp;#105;&amp;#115;a&amp;#107;u&amp;#45;c&amp;#101;&amp;#110;t&amp;#101;&amp;#114;.&amp;#110;e&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>トピックス一覧</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=568</guid>
		<description>	続・日本を「移民国家」にしてもよいのか
&amp;nbsp;
&amp;nbsp;
　中川秀直元自民党幹事長が主張する「一千万人移民」論に触発され、『明日への選択』７月号で英・仏・独の現状を紹介した。それを簡単に言えば、戦後、これらの国は経済成長のために低賃金の外国人労働者を大量に導入した。その後、経済が停滞し移民の受け入れを中止したが、外国人労働者は帰国せず、逆に定住化し、今では「移民国家」となっている。しかも、外国人移民が原因となった犯罪、暴動が頻発したり、また失業対策、教育格差など様々な社会的コストの増加にも悩まされている――ということになる。
　とはいえ、これらの国々も、最近では惨憺たる現状に直面して外国人労働者・移民政策を大きく変更している。従来の移民・外国人政策を支えてきたのは、人種や民族が多様であることを価値とし、一つの国のなかでマイノリティである外国人組織などを支援する多文化主義政策とも言えるものだった。ところが、最近では、そうした多文化主義は転換を迫られ、逆に移民の制限とともに、統合・同化が政策の主流になりつつある。さらに、統合を論じる際、統合の核となるものは何か、例えば、イギリス的価値とは何かというアイデンティティに深く関わる問題も提起され始めている。
　そこで、こうしたヨーロッパでの最近の議論をフォローしつつ、移民問題が抱える本質的問題を考えてみたい。
&amp;nbsp;
◆多文化主義からの転換
　まず、人口の約一割が移民というイギリスの政策転換について紹介しよう。イギリスで移民・外国人政策の転換が議論され始めたのは、二〇〇一年に北イングランドで起こった暴動、そして〇五年七月のロンドン同時多発テロが契機だった。
　それまでのイギリスでは「多文化主義」を基調とする外国人・移民政策がとられ、人種的・文化的「多様性」がイギリスにおける一つの重要な価値とされてきた。例えば、人種関係法などで人種や文化による差別を禁止するとともに、国籍（市民権）も、とりわけ英連邦出身者には二重国籍を容認するなど、極めて緩い条件での取得を認めてきた。
　また、具体的な政策としても、移民が多い自治体では出身国の言語で教育がなされることが推奨され、公的機関がマイノリティの祭事や文化行事を支援してきた。さらに、公共サービスにおいては、例えば公的書類のほとんどが出身国の言語に翻訳されるサービスが盛んに行われるといった、まさに多文化主義政策がとられてきた。
　しかし、その結果、合法・不法を問わず、英国内に在留する宗教や出身地を同じくする移民がそれぞれに集住する地域が生まれた。こうした外国人コミュニティでは、イギリス社会とは違う慣行や社会生活（例えばイスラム教に基づく生活）が営まれることはもちろん、イギリス官憲の力が及ばない地域すら生じていた。そうしたなかで、出身国の影響を受け、イスラム原理主義のテログループが生まれたのは、ある意味では自然の成り行きとも言える。
　また、北イングランドの暴動にしても、失業者の急増が引き金となって起こったのだが、翻訳サービスなどの多文化主義政策によって、英語や英国の習慣を理解しなくてもイギリス生活が可能となり、かえって就職などの社会適応が阻害された結果とも考えられた。いわば、イギリス政府が推進した多文化主義政策が、イギリスの社会秩序に反する集団を国内に作ったという皮肉な結果を生んだとも言えるのである。
　その結果、移民などマイノリティもイギリス社会の中核となる価値観を受け入れるべきであるとの議論が盛んになってきた。こうした流れの中で、作られたのが二〇〇二年国籍法（正式には「国籍、移民及び庇護法」）であった。
　この国籍法によって、市民権獲得のために、英語の能力にはじまり、イギリス特有の王制や議会制民主主義の歴史、市民の権利と義務からフェアプレイの精神に至るまで様々な、イギリス市民として最低限持っていなければならない能力や知識が試験されることとなった。さらに、それに合格したものには、地方自治体が主催し、首長など地元の要人が立ち会うなかで、女王（国王）及び連合王国に対する忠誠、民主主義の擁護、国法の遵守を誓うことが市民権取得の必須条件ともされるようになった（国王に対する忠誠の文言などについては『明日への選択』６月号を参照）。
　さらに、一歩進んで「イギリス的価値」についての議論も盛んになっている。ブラウン首相は、「国の歴史とイギリス市民であることの意味についての理解を深め、イギリス的価値観を明文化するための包括的討議」をはじめることを提起している。イギリスの移民・外国人政策は、明らかに多文化主義から「統合」へと転換しつつある。
　一方、フランスはイギリスのような多文化主義を前提とはしない国だが、こちらも最近になって、次々と移民に関連する法律を成立させ、移民政策の転換をはかっている。　→続きは『明日への選択』８月号でお読みになれます。
　【本稿の主な内容】
　　・多文化主義からの転換
　　・義務化された「統合」
　　・誰がコストを払うのか
　　・日本のアイデンティティは？
　　・途上国から人材を奪うのか
（日本政策研究センター所長　岡田邦宏）
→続きは『明日への選択』８月号でお読みになれます。お申し込みはこちら

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<h3><font color=#0000ff>続・日本を「移民国家」にしてもよいのか</font></h3>
	<h2>&nbsp;</h2>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>　中川秀直元自民党幹事長が主張する「一千万人移民」論に触発され、『明日への選択』７月号で英・仏・独の現状を紹介した。それを簡単に言えば、戦後、これらの国は経済成長のために低賃金の外国人労働者を大量に導入した。その後、経済が停滞し移民の受け入れを中止したが、外国人労働者は帰国せず、逆に定住化し、今では「移民国家」となっている。しかも、外国人移民が原因となった犯罪、暴動が頻発したり、また失業対策、教育格差など様々な社会的コストの増加にも悩まされている――ということになる。</p>
	<p>　とはいえ、これらの国々も、最近では惨憺たる現状に直面して外国人労働者・移民政策を大きく変更している。従来の移民・外国人政策を支えてきたのは、人種や民族が多様であることを価値とし、一つの国のなかでマイノリティである外国人組織などを支援する多文化主義政策とも言えるものだった。ところが、最近では、そうした多文化主義は転換を迫られ、逆に移民の制限とともに、統合・同化が政策の主流になりつつある。さらに、統合を論じる際、統合の核となるものは何か、例えば、イギリス的価値とは何かというアイデンティティに深く関わる問題も提起され始めている。</p>
	<p>　そこで、こうしたヨーロッパでの最近の議論をフォローしつつ、移民問題が抱える本質的問題を考えてみたい。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆多文化主義からの転換</h3>
	<p>　まず、人口の約一割が移民というイギリスの政策転換について紹介しよう。イギリスで移民・外国人政策の転換が議論され始めたのは、二〇〇一年に北イングランドで起こった暴動、そして〇五年七月のロンドン同時多発テロが契機だった。</p>
	<p>　それまでのイギリスでは「多文化主義」を基調とする外国人・移民政策がとられ、人種的・文化的「多様性」がイギリスにおける一つの重要な価値とされてきた。例えば、人種関係法などで人種や文化による差別を禁止するとともに、国籍（市民権）も、とりわけ英連邦出身者には二重国籍を容認するなど、極めて緩い条件での取得を認めてきた。</p>
	<p>　また、具体的な政策としても、移民が多い自治体では出身国の言語で教育がなされることが推奨され、公的機関がマイノリティの祭事や文化行事を支援してきた。さらに、公共サービスにおいては、例えば公的書類のほとんどが出身国の言語に翻訳されるサービスが盛んに行われるといった、まさに多文化主義政策がとられてきた。</p>
	<p>　しかし、その結果、合法・不法を問わず、英国内に在留する宗教や出身地を同じくする移民がそれぞれに集住する地域が生まれた。こうした外国人コミュニティでは、イギリス社会とは違う慣行や社会生活（例えばイスラム教に基づく生活）が営まれることはもちろん、イギリス官憲の力が及ばない地域すら生じていた。そうしたなかで、出身国の影響を受け、イスラム原理主義のテログループが生まれたのは、ある意味では自然の成り行きとも言える。</p>
	<p>　また、北イングランドの暴動にしても、失業者の急増が引き金となって起こったのだが、翻訳サービスなどの多文化主義政策によって、英語や英国の習慣を理解しなくてもイギリス生活が可能となり、かえって就職などの社会適応が阻害された結果とも考えられた。いわば、イギリス政府が推進した多文化主義政策が、イギリスの社会秩序に反する集団を国内に作ったという皮肉な結果を生んだとも言えるのである。</p>
	<p>　その結果、移民などマイノリティもイギリス社会の中核となる価値観を受け入れるべきであるとの議論が盛んになってきた。こうした流れの中で、作られたのが二〇〇二年国籍法（正式には「国籍、移民及び庇護法」）であった。</p>
	<p>　この国籍法によって、市民権獲得のために、英語の能力にはじまり、イギリス特有の王制や議会制民主主義の歴史、市民の権利と義務からフェアプレイの精神に至るまで様々な、イギリス市民として最低限持っていなければならない能力や知識が試験されることとなった。さらに、それに合格したものには、地方自治体が主催し、首長など地元の要人が立ち会うなかで、女王（国王）及び連合王国に対する忠誠、民主主義の擁護、国法の遵守を誓うことが市民権取得の必須条件ともされるようになった（国王に対する忠誠の文言などについては<a href="/modules/shop/index.php?main_page=product_info&amp;cPath=3&amp;products_id=78" target=_blank><font color=#0000ff>『明日への選択』６月号を参照</font></a>）。</p>
	<p>　さらに、一歩進んで「イギリス的価値」についての議論も盛んになっている。ブラウン首相は、「国の歴史とイギリス市民であることの意味についての理解を深め、イギリス的価値観を明文化するための包括的討議」をはじめることを提起している。イギリスの移民・外国人政策は、明らかに多文化主義から「統合」へと転換しつつある。</p>
	<p>　一方、フランスはイギリスのような多文化主義を前提とはしない国だが、こちらも最近になって、次々と移民に関連する法律を成立させ、移民政策の転換をはかっている。　<a href="/modules/shop/index.php?main_page=product_info&amp;products_id=47"><font color=#0000ff size=1>→続きは『明日への選択』８月号でお読みになれます。</font></a></p>
	<p>　【本稿の主な内容】</p>
	<p>　　・多文化主義からの転換</p>
	<p>　　・義務化された「統合」</p>
	<p>　　・誰がコストを払うのか</p>
	<p>　　・日本のアイデンティティは？</p>
	<p>　　・途上国から人材を奪うのか</p>
	<p align=right>（日本政策研究センター所長　岡田邦宏）</p>
<font size=1><a href="/modules/shop/index.php?main_page=product_info&amp;products_id=47"></p>
	<p align=right><font color=#0000ff size=1>→続きは『明日への選択』８月号でお読みになれます。お申し込みはこちら</font></p>
</a></font>
</p>
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	</item>
		<item>
		<title>【恵岡隆一レポート№43】共和国英雄第1号となった対南工作員「成始伯」秘話</title>
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		<comments>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=566#comments</comments>
		<pubDate>Fri,  8 Aug 2008 16:00:34 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&amp;#105;nf&amp;#111;&amp;#64;&amp;#115;eis&amp;#97;&amp;#107;&amp;#117;&amp;#45;&amp;#99;enter&amp;#46;&amp;#110;&amp;#101;&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>朝鮮半島研究プロジェクト</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=566</guid>
		<description>	朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年8月8日【恵岡隆一レポート№43】
共和国英雄第1号となった対南工作員「成始伯」秘話
　去る4月、西岡力氏とともにソウルで、朝鮮労働党連絡部の元工作員の金東赫（仮名）氏にインタビューした際、聞いたことがない人名が出てきたときのことだった。
　「あなた方は、韓国・北朝鮮の専門家ではないのですか？　専門家が有名な工作員のソン・シベクの名を知らないとは……」
　私と西岡氏は顔を見合わせて、不明を恥じた。それにしても、ソン・シベクという名前を聞いて、直ぐに思い当たる日本人がいるのだろうか。金東赫氏から取材した驚くべき北朝鮮の対南工作の内実と、帰国後の調査などから判明したソン・シベク秘話を紹介することにしよう。
&amp;nbsp;
◆金日成は北朝鮮の旧紙幣をすべて回収し、その紙幣を対南工作に使っていた
　私たちは金東赫氏から北朝鮮の対南工作の実態を聞いていた。
　「北朝鮮は莫大なカネを使って、対南工作をしてきました。解放直後は日帝時代の朝鮮中央銀行が発行する同じ紙幣を、南北双方で使っていました。金日成は、1947年12月1日に通貨改革をおこなって紙幣を回収し、その紙幣を工作資金として南で使っていたのです。このことに米軍が気付いて、1948年4月25日までにその紙幣は韓国で使えなくなりました」
　朝鮮解放後、平壌に進駐したソ連軍は、1946年1月15日、「北朝鮮中央銀行」を設立し、9カ月後の10月29日に、ソ連軍は北朝鮮中央銀行を、金日成が委員長である北朝鮮臨時人民委員会（当時の中央政府）に引き渡した。北朝鮮臨時人民委員会は、北朝鮮地域にあった朝鮮銀行、朝鮮殖産銀行、安田銀行などの支店（計58カ所）を、北朝鮮中央銀行の支店として再編し、資本金5億ウォンの中央銀行で個人の預金や融資も扱う市中銀行という特異な営業形態で開業した。この営業形態は現在まで続いている。
　1947年に北朝鮮中央銀行は通貨改革を断行したが、それは南でも使える旧紙幣を回収することが目的だった。
　「回収した旧紙幣は30億ウォンといわれ、金日成はその全額を対南工作に投入し、ソン・シベクなどの南派工作員たちは、その豊富な資金で南の政治家や軍人たちを買収するなどの工作を成功させたのです」
　金東赫氏は以上のように証言したが、1947年当時の北朝鮮の国家予算が68億ウォンだったことを考えると、30億ウォンという工作資金がいかに莫大だったかが分かるだろう。一部の資料では、北朝鮮が通貨改革をおこなったのは12月6日となっていたが、韓国で旧紙幣が使えなくなった日付については、私は確認することができなかった。
　金東赫氏は、ソン・シベクを知らない私たちに呆れながら、彼について語ってくれた。
　「ソン・シベクは北朝鮮の『共和国英雄』」の第1号でした。ソン・シベクは日帝時代に中国共産党員として活動し、金九の上海臨時政府に潜り込んで、統一戦線工作をおこなっていた工作員で、周恩来、金九の秘書、安重根の弟などと親しい関係でした」
&amp;nbsp;
◆裕福な事業家に偽装して豊富な資金で対南工作を成功させた成始伯
　金東赫氏の話を聞いているうちに、ソン・シベクの音から漢名が浮かび、産経新聞の久保田るり子記者が編集した金東赫氏の手記『金日成の秘密教示』のなかで紹介されている「成始伯」であることに思い至った。
　1905年、黄海道平山郡で誕生した成始伯（ソン・シベク）は、ソウルの中等学校高等科を卒業したが、在学中に1919年の「3・1独立運動」に参加したという。1925年に朴憲永らが結成した「高麗共産会」に入って活動していたが、1928年に上海に亡命し、1932年に中国共産党に入党した。上海では「鄭向明」の変名で活動していたが、中国官憲に逮捕され南京刑務所で服役した。出獄後、重慶の八路軍を拠点として、上海臨時政府との統一戦線の工作に従事していた。
　朝鮮解放後の1946年2月、釜山に上陸した成始伯は、ソウルを経て平壌に向かった。平壌に到着した成始伯は、朝鮮共産党北朝鮮分局の社会部（党統一戦線部の前身）の副部長に就任し、南にいる朴憲永や呂運亨との連絡にあたっていた。その後、成始伯は金日成の指示に従い、南で直接工作をおこなうため、大量の工作資金を携えて、中国から帰国したと金持ちに偽装して、ソウルに浸透した。
　「成始伯はソウルで裕福な事業家としてふるまい、朝鮮中央日報、光明日報、ウリ新聞など10紙の新聞社を運営し、貿易船『クムビラ号』を購入し、貿易会社も経営していました。1948年の南北連席会議の資金は、成始伯が出しました。1949年の国会フラクション事件に関しては、成始伯が国会副議長の金若水など多数の国会議員をカネで買収して、フラクションとして活用していたのです」
　成始伯は、1950年の韓国第2代国会議員選挙の際、南北交渉派や臨時政府系の候補者たちの政治資金を支援していたが、5月15日に逮捕された。そして、6月9日に軍事裁判で死刑を宣告され、朝鮮戦争が勃発し、ソウルが人民軍に占領される前日の6月27日に処刑された。成始伯の墓は平壌郊外の愛国烈士陵に造られている。
　韓国における成始伯の工作活動は、金東赫著『金日成の秘密教示』で詳しく紹介されているが、圧巻は1997年5月26日付の朝鮮労働党機関紙『労働新聞』の記事である。その記事には、北朝鮮の対南工作の事実が克明に書かれてあり、北朝鮮自身が成始伯の謀略工作を明らかにしている点で非常に興味深い。
&amp;nbsp;
◆「南からカネが行かなくなれば、金正日は絶対に倒れます」
　成始伯の死後の工作資金について尋ねると、金東赫氏は次のように続けた。
　「朝鮮戦争のとき、米軍が仁川に上陸すると、人民軍は数千億ウォン相当の金塊をソウルの中央銀行から運び出して、平壌に移送しました。4・19〔1960年の学生革命〕のときの『会おう板門店で！』〔ソウル大学民族統一連盟のスローガン〕も、そのカネの力でした。1961年の5・16クーデターの後、金融改革がありましたが、事前に情報を得ていたので、工作資金は無事でした。その資金を1973年まで使っていましたが、その年から外貨稼ぎのため、順安の招待所で芥子を植えるようになり、1974年に各単位で独自に稼げという指示が出たのです。30年間、誰からもこのような質問をされなかったので、いま初めて話すことです」
　最後に、金東赫氏は断言した。
　「南からカネが行かなくなれば、金正日は絶対に倒れます」
（惠谷　治）
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 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><font color=#0000ff>朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年8月8日<br />【恵岡隆一レポート№43】</font></p>
	<h2><font color=#0000ff>共和国英雄第1号となった対南工作員「成始伯」秘話</font></h2>
	<p>　去る4月、西岡力氏とともにソウルで、朝鮮労働党連絡部の元工作員の金東赫（仮名）氏にインタビューした際、聞いたことがない人名が出てきたときのことだった。</p>
	<p>　「あなた方は、韓国・北朝鮮の専門家ではないのですか？　専門家が有名な工作員のソン・シベクの名を知らないとは……」</p>
	<p>　私と西岡氏は顔を見合わせて、不明を恥じた。それにしても、ソン・シベクという名前を聞いて、直ぐに思い当たる日本人がいるのだろうか。金東赫氏から取材した驚くべき北朝鮮の対南工作の内実と、帰国後の調査などから判明したソン・シベク秘話を紹介することにしよう。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆金日成は北朝鮮の旧紙幣をすべて回収し、その紙幣を対南工作に使っていた</h3>
	<p>　私たちは金東赫氏から北朝鮮の対南工作の実態を聞いていた。</p>
	<p>　「北朝鮮は莫大なカネを使って、対南工作をしてきました。解放直後は日帝時代の朝鮮中央銀行が発行する同じ紙幣を、南北双方で使っていました。金日成は、1947年12月1日に通貨改革をおこなって紙幣を回収し、その紙幣を工作資金として南で使っていたのです。このことに米軍が気付いて、1948年4月25日までにその紙幣は韓国で使えなくなりました」</p>
	<p>　朝鮮解放後、平壌に進駐したソ連軍は、1946年1月15日、「北朝鮮中央銀行」を設立し、9カ月後の10月29日に、ソ連軍は北朝鮮中央銀行を、金日成が委員長である北朝鮮臨時人民委員会（当時の中央政府）に引き渡した。北朝鮮臨時人民委員会は、北朝鮮地域にあった朝鮮銀行、朝鮮殖産銀行、安田銀行などの支店（計58カ所）を、北朝鮮中央銀行の支店として再編し、資本金5億ウォンの中央銀行で個人の預金や融資も扱う市中銀行という特異な営業形態で開業した。この営業形態は現在まで続いている。</p>
	<p>　1947年に北朝鮮中央銀行は通貨改革を断行したが、それは南でも使える旧紙幣を回収することが目的だった。</p>
	<p>　「回収した旧紙幣は30億ウォンといわれ、金日成はその全額を対南工作に投入し、ソン・シベクなどの南派工作員たちは、その豊富な資金で南の政治家や軍人たちを買収するなどの工作を成功させたのです」</p>
	<p>　金東赫氏は以上のように証言したが、1947年当時の北朝鮮の国家予算が68億ウォンだったことを考えると、30億ウォンという工作資金がいかに莫大だったかが分かるだろう。一部の資料では、北朝鮮が通貨改革をおこなったのは12月6日となっていたが、韓国で旧紙幣が使えなくなった日付については、私は確認することができなかった。</p>
	<p>　金東赫氏は、ソン・シベクを知らない私たちに呆れながら、彼について語ってくれた。</p>
	<p>　「ソン・シベクは北朝鮮の『共和国英雄』」の第1号でした。ソン・シベクは日帝時代に中国共産党員として活動し、金九の上海臨時政府に潜り込んで、統一戦線工作をおこなっていた工作員で、周恩来、金九の秘書、安重根の弟などと親しい関係でした」</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆裕福な事業家に偽装して豊富な資金で対南工作を成功させた成始伯</h3>
	<p>　金東赫氏の話を聞いているうちに、ソン・シベクの音から漢名が浮かび、産経新聞の久保田るり子記者が編集した金東赫氏の手記『金日成の秘密教示』のなかで紹介されている「成始伯」であることに思い至った。</p>
	<p>　1905年、黄海道平山郡で誕生した成始伯（ソン・シベク）は、ソウルの中等学校高等科を卒業したが、在学中に1919年の「3・1独立運動」に参加したという。1925年に朴憲永らが結成した「高麗共産会」に入って活動していたが、1928年に上海に亡命し、1932年に中国共産党に入党した。上海では「鄭向明」の変名で活動していたが、中国官憲に逮捕され南京刑務所で服役した。出獄後、重慶の八路軍を拠点として、上海臨時政府との統一戦線の工作に従事していた。</p>
	<p>　朝鮮解放後の1946年2月、釜山に上陸した成始伯は、ソウルを経て平壌に向かった。平壌に到着した成始伯は、朝鮮共産党北朝鮮分局の社会部（党統一戦線部の前身）の副部長に就任し、南にいる朴憲永や呂運亨との連絡にあたっていた。その後、成始伯は金日成の指示に従い、南で直接工作をおこなうため、大量の工作資金を携えて、中国から帰国したと金持ちに偽装して、ソウルに浸透した。</p>
	<p>　「成始伯はソウルで裕福な事業家としてふるまい、朝鮮中央日報、光明日報、ウリ新聞など10紙の新聞社を運営し、貿易船『クムビラ号』を購入し、貿易会社も経営していました。1948年の南北連席会議の資金は、成始伯が出しました。1949年の国会フラクション事件に関しては、成始伯が国会副議長の金若水など多数の国会議員をカネで買収して、フラクションとして活用していたのです」</p>
	<p>　成始伯は、1950年の韓国第2代国会議員選挙の際、南北交渉派や臨時政府系の候補者たちの政治資金を支援していたが、5月15日に逮捕された。そして、6月9日に軍事裁判で死刑を宣告され、朝鮮戦争が勃発し、ソウルが人民軍に占領される前日の6月27日に処刑された。成始伯の墓は平壌郊外の愛国烈士陵に造られている。</p>
	<p>　韓国における成始伯の工作活動は、金東赫著『金日成の秘密教示』で詳しく紹介されているが、圧巻は1997年5月26日付の朝鮮労働党機関紙『労働新聞』の記事である。その記事には、北朝鮮の対南工作の事実が克明に書かれてあり、北朝鮮自身が成始伯の謀略工作を明らかにしている点で非常に興味深い。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆「南からカネが行かなくなれば、金正日は絶対に倒れます」</h3>
	<p>　成始伯の死後の工作資金について尋ねると、金東赫氏は次のように続けた。</p>
	<p>　「朝鮮戦争のとき、米軍が仁川に上陸すると、人民軍は数千億ウォン相当の金塊をソウルの中央銀行から運び出して、平壌に移送しました。4・19〔1960年の学生革命〕のときの『会おう板門店で！』〔ソウル大学民族統一連盟のスローガン〕も、そのカネの力でした。1961年の5・16クーデターの後、金融改革がありましたが、事前に情報を得ていたので、工作資金は無事でした。その資金を1973年まで使っていましたが、その年から外貨稼ぎのため、順安の招待所で芥子を植えるようになり、1974年に各単位で独自に稼げという指示が出たのです。30年間、誰からもこのような質問をされなかったので、いま初めて話すことです」</p>
	<p>　最後に、金東赫氏は断言した。</p>
	<p>　「南からカネが行かなくなれば、金正日は絶対に倒れます」</p>
	<p align=right>（惠谷　治）</p>
	<p align=right><a href="/modules/wordpress/index.php?cat=29"><font color=#0000ff>レポート一覧はこちら</font></a></p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>ウイグル人医師が北京五輪抗議のため来日</title>
		<link>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=565</link>
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		<pubDate>Fri,  8 Aug 2008 11:46:58 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&amp;#105;&amp;#110;&amp;#102;o&amp;#64;&amp;#115;&amp;#101;isak&amp;#117;&amp;#45;&amp;#99;ent&amp;#101;r.ne&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>トピックス一覧</category>
	<category>中国・台湾（対中外交・対中認識）</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=565</guid>
		<description>	ウイグル人医師が北京五輪抗議のため来日
五輪前夜、アニワル・トフティ氏講演会を開催
&amp;nbsp;
　きょう始まる北京五輪を前に、昨日８月７日夜、都内のホテルにおいて、世界ウイグル会議イギリス全権代表を務めるアニワル・トフティ氏が講演した。この講演会は、水谷尚子さんの紹介により、アニワル氏が６日の「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」に参加するために来日した機会を捉え、日本政策研究センターが緊急開催したもの。
　アニワル・トフティ氏は中国・新疆ウイグル自治区出身の外科医で、現在は英国で活動している。中国は1964年に初めて核実験を実施して以来、1996年までに４６回核実験を行っているが、同自治区はその実験場であり、現地の人々や生態系に深刻な被害をもたらしている。人間の場合でいえば、大脳未発達の赤ちゃんが数多く生まれ、奇病が流行し、癌の発生率は中国のほかの地域に比べ極めて高い。それは核実験の後遺症である可能性が高いが、中国政府の圧力の為にその事実は公にされず、支援を受けられない患者たちは貧困の為、薬も買えずなす術もなく死を迎えている。このような内容のドキュメンタリー&quot;Death on the Silkroad,「シルクロードの死神」が、1998年7～8月、英国のテレビ局チャンネル４で放送された。このドキュメンタリーで真実を訴えたのが、アニワル・トフティ氏である。
　講演の中でアニワル氏は、自らの生い立ちや、医師として原爆症患者の治療に当たる中で「シルクロードの死神」の撮影に至った経緯を紹介。撮影を進める上で行った調査活動で、新疆のある山の中で大木を切り科学的検証を行ったところ、広島に落とされた原爆のじつに３００倍にものぼる放射性の反応が出た。また、新疆に３０年以上住んでいる人達の癌の発生率は、中国内陸部よりも３５％高いことが判明したという。
　このほかアニワル氏は、中共政権によるウイグル人弾圧の実態等を自らの体験をもとに紹介したが、最後に今回の来日の目的について次のように語った。
　「私が今回ちょうどこの時機に合わせて日本に来たのも、明日から開幕する北京五輪への一種の抗議です。ちょうど1964年の東京五輪の開幕から２日後に、中国は東トルキスタン（註・中国の言う新疆ウイグル自治区のこと）で初めて原爆実験を実施し、以来４６回も原爆実験を堂々と行って軍事力を拡大させてきました。中国が今のように強い国になって行く上でウイグル人が払った犠牲というのは何よりも大きい。資源、土地、生命、祖国……何から何まで私たちウイグル人が相当な犠牲を払った結果、中国は経済的にも軍事的にも成長し、五輪を開催できるような国にまでなったのです。五輪開催が決まった時、中国は国際社会に対して人権弾圧を少しは弛めますよという約束をしたけれども、それはまったく守られていない」
　また、日本へのこんなメッセージも送っている。
　「私が今回日本に来たもう一つの動機は、原爆を落とされた広島の現場を自分の目で見ていかに酷いものだったのかということを感じると同時に、その時に被害に遭った方々を追悼したいと思ったからです。そして、世界のどこよりも原爆の酷さというものを知っている日本の方々に対して、原爆の被害に苦しむのは日本人だけではないということを知らせたかった。東トルキスタンでも数多の人々が原爆の被害に苦しみながら生きています。日本には原爆被害に関する医療があります。できることならば、日本には東トルキスタンで苦しんでいる人々を助けるために、現地に医師を派遣したり、支援をお願いできれば有り難い」
　※講演の詳細は、『明日への選択』に掲載予定。
&amp;nbsp;
	　なお、『明日への選択』では、中国共産党によるウイグル人弾圧問題について継続的に取り上げています。興味のある方は、ぜひ以下の記事をお読み下さい。
☆ウイグル弾圧はここまで来ている／ドルクン・エイサ（世界ウイグル会議事務局長）　『明日への選択』平成20年6月号☆ウイグル人の「叫び」も聞いてほしい　水谷尚子（中央大学非常勤講師）　『明日への選択』平成20年5月号
☆ラビア・カーディルさんが語る中国によるウイグルの人権弾圧　『明日への選択』平成20年1月号
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 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<h4><font color=#0000ff>ウイグル人医師が北京五輪抗議のため来日</font></h4>
	<h5>五輪前夜、アニワル・トフティ氏講演会を開催</h5>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>　きょう始まる北京五輪を前に、昨日８月７日夜、都内のホテルにおいて、世界ウイグル会議イギリス全権代表を務めるアニワル・トフティ氏が講演した。この講演会は、水谷尚子さんの紹介により、アニワル氏が６日の「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」に参加するために来日した機会を捉え、日本政策研究センターが緊急開催したもの。</p>
	<p>　アニワル・トフティ氏は中国・新疆ウイグル自治区出身の外科医で、現在は英国で活動している。中国は1964年に初めて核実験を実施して以来、1996年までに４６回核実験を行っているが、同自治区はその実験場であり、現地の人々や生態系に深刻な被害をもたらしている。人間の場合でいえば、大脳未発達の赤ちゃんが数多く生まれ、奇病が流行し、癌の発生率は中国のほかの地域に比べ極めて高い。それは核実験の後遺症である可能性が高いが、中国政府の圧力の為にその事実は公にされず、支援を受けられない患者たちは貧困の為、薬も買えずなす術もなく死を迎えている。このような内容のドキュメンタリー"Death on the Silkroad,「シルクロードの死神」が、1998年7～8月、英国のテレビ局チャンネル４で放送された。このドキュメンタリーで真実を訴えたのが、アニワル・トフティ氏である。</p>
	<p><a href="/uploads/wp/DSC_0139.JPG"><img title=DSC_0139.JPG height=167 alt=DSC_0139.JPG hspace=10 src="/uploads/wp/DSC_0139.JPG" width=150 align=left></a>　講演の中でアニワル氏は、自らの生い立ちや、医師として原爆症患者の治療に当たる中で「シルクロードの死神」の撮影に至った経緯を紹介。撮影を進める上で行った調査活動で、新疆のある山の中で大木を切り科学的検証を行ったところ、広島に落とされた原爆のじつに３００倍にものぼる放射性の反応が出た。また、新疆に３０年以上住んでいる人達の癌の発生率は、中国内陸部よりも３５％高いことが判明したという。</p>
	<p>　このほかアニワル氏は、中共政権によるウイグル人弾圧の実態等を自らの体験をもとに紹介したが、最後に今回の来日の目的について次のように語った。</p>
	<p>　「私が今回ちょうどこの時機に合わせて日本に来たのも、明日から開幕する北京五輪への一種の抗議です。ちょうど1964年の東京五輪の開幕から２日後に、中国は東トルキスタン（註・中国の言う新疆ウイグル自治区のこと）で初めて原爆実験を実施し、以来４６回も原爆実験を堂々と行って軍事力を拡大させてきました。中国が今のように強い国になって行く上でウイグル人が払った犠牲というのは何よりも大きい。資源、土地、生命、祖国……何から何まで私たちウイグル人が相当な犠牲を払った結果、中国は経済的にも軍事的にも成長し、五輪を開催できるような国にまでなったのです。五輪開催が決まった時、中国は国際社会に対して人権弾圧を少しは弛めますよという約束をしたけれども、それはまったく守られていない」</p>
	<p>　また、日本へのこんなメッセージも送っている。</p>
	<p>　「私が今回日本に来たもう一つの動機は、原爆を落とされた広島の現場を自分の目で見ていかに酷いものだったのかということを感じると同時に、その時に被害に遭った方々を追悼したいと思ったからです。そして、世界のどこよりも原爆の酷さというものを知っている日本の方々に対して、原爆の被害に苦しむのは日本人だけではないということを知らせたかった。東トルキスタンでも数多の人々が原爆の被害に苦しみながら生きています。日本には原爆被害に関する医療があります。できることならば、日本には東トルキスタンで苦しんでいる人々を助けるために、現地に医師を派遣したり、支援をお願いできれば有り難い」</p>
	<p>　※講演の詳細は、『明日への選択』に掲載予定。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<blockquote dir=ltr style="MARGIN-RIGHT: 0px">
	<p>　なお、『明日への選択』では、中国共産党によるウイグル人弾圧問題について継続的に取り上げています。興味のある方は、ぜひ以下の記事をお読み下さい。</p>
	<p>☆ウイグル弾圧はここまで来ている／ドルクン・エイサ（世界ウイグル会議事務局長）<br />　<a href="/modules/shop/index.php?main_page=product_info&amp;products_id=78　">『明日への選択』平成20年6月号</a></p>
	<p>☆ウイグル人の「叫び」も聞いてほしい<br />　水谷尚子（中央大学非常勤講師）<br />　<a href="/modules/shop/index.php?main_page=product_info&amp;cPath=3&amp;products_id=77">『明日への選択』平成20年5月号</a></p>
	<p>☆ラビア・カーディルさんが語る中国によるウイグルの人権弾圧<br />　<a href="/modules/shop/index.php?main_page=product_info&amp;cPath=3&amp;products_id=72">『明日への選択』平成20年1月号</a></p></blockquote>
	<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>農・林業を地方経済「再生」の切り札に</title>
		<link>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=564</link>
		<comments>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=564#comments</comments>
		<pubDate>Wed,  6 Aug 2008 18:31:59 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;i&amp;#110;&amp;#102;o&amp;#64;&amp;#115;e&amp;#105;&amp;#115;&amp;#97;ku&amp;#45;c&amp;#101;nte&amp;#114;.&amp;#110;&amp;#101;&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>トピックス一覧</category>
	<category>農業林業・食糧危機・食料自給率</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=564</guid>
		<description>	農・林業を地方経済「再生」の切り札に
山村、農村が活性化すれば、隣接する地方都市も活性化して行く。また地方都市が活性化すれば、そこに生まれた経済循環は農村、山村にも及んで行く。
&amp;nbsp;
　わが国ではこれまで、林業の生き残り、農業の再生ということが折りある毎にいわれてきたにもかかわらず、それが本格的な国民的議論として取り上げられることはほとんどなかった。しかし、今や新聞もテレビも連日といっていいほど、これらの動向の報道に余念がないというのが昨今の現状である。
　このような中、本稿ではかかる林業と農業の現状紹介を更に一歩進め、この林業と農業が今後、単なる林業の生き残り、農業の再生というレベルを超えた、地方経済全体にとっての再生の「切り札」ともなりうる可能性をもつことを論じてみたい。というのも、この林業と農業が活性化すれば、更にそこに、それをベースにした新たなビジネス・チャンスが生まれ、そこからその地域を巻き込む新たな「経済循環」が形成されて行く可能性が出てくる、と筆者は考えるからだ。
　つまり、林業・農業の活性化は一般に認識されているような単なる一次産業のレベルに留まらず、更にその地域の二次産業にも三次産業にも波及可能な、ダイナミックな経済的可能性をもち得る、というのが筆者の認識なのである。
　まずは林業からその可能性を見ていくことにしよう。
　『明日への選択』７月号では、京都議定書におけるわが国の温室効果ガス削減義務六パーセントのうち、三・八パーセントがわが国の森林の温室効果ガス吸収能力により賄われることになっていることを指摘した。むろん、そのためにはここ二、三十年、荒れるまま放置され、手つかずになっている森林の再生・保全がまず必要とされる。わが国の森林をそれだけの温室効果ガスが吸収可能な「管理された森林」にして行くことが義務として求められるからだ。具体的にいうと、この六年間で三三〇万ヘクタールという関東地方の広さにも等しい森林の間伐が求められることになる。
　当然のことながら、こうした動きはこれまで衰退一方にあった各地の林業に対するかつてない追い風になって行くであろうことはいうまでもない。「伐っても赤字が増えるだけ」と、荒廃するまま放置されてきたわが国の森林（とりわけ民有の人工林）に、保全・再生の一大インセンティブが働き始めることになるからだ。種々の報道にもあるように、国はこれを巨額の補助金で後押しし、第一線に立つ各地の森林組合はこれを機会に、作業の機械化、集約化、そして高齢化した作業員の若返りを精力的に進めようとしている。
　とはいえ、だからといって、いきなり林業が活性化し始めるという話ではない。現状は、まずは作業効率化のために高性能林業機械（伐採用の特殊車両）を導入し、その機械を山奥の現場にまで入れるための「路網」を開設し、更に安定した作業量の確保のために、所有者の異なる山林をある程度の作業規模に取りまとめる「施業の集約化」といった前段の作業にようやく眼が向き始めた、というのが実際のところであるからだ。いわば林業を採算のとれる産業にして行くための胎動がようやく始まった段階、といえようか。
　それでは、この林業を更に冒頭にも述べたような地方経済活性化の力強い現実的な起動力たらしめて行くためには、これからどのようなことが必要になって行くのだろうか。→続きは『明日への選択』８月号でお読みになれます。
【本稿の主な内容】
　・地域林業システムの事業体化
　・森林を「利用し尽す」総合業へ
　・農業も食料総合業へ
　・都市の活力を農村に
（日本政策研究センター代表　伊藤哲夫）
→続きは『明日への選択』８月号でお読みになれます。お申し込みはこちら

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<h3><font color=#0000ff>農・林業を地方経済「再生」の切り札に</font></h3>
	<h5>山村、農村が活性化すれば、隣接する地方都市も活性化して行く。また地方都市が活性化すれば、そこに生まれた経済循環は農村、山村にも及んで行く。</h5>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>　わが国ではこれまで、林業の生き残り、農業の再生ということが折りある毎にいわれてきたにもかかわらず、それが本格的な国民的議論として取り上げられることはほとんどなかった。しかし、今や新聞もテレビも連日といっていいほど、これらの動向の報道に余念がないというのが昨今の現状である。</p>
	<p>　このような中、本稿ではかかる林業と農業の現状紹介を更に一歩進め、この林業と農業が今後、単なる林業の生き残り、農業の再生というレベルを超えた、地方経済全体にとっての再生の「切り札」ともなりうる可能性をもつことを論じてみたい。というのも、この林業と農業が活性化すれば、更にそこに、それをベースにした新たなビジネス・チャンスが生まれ、そこからその地域を巻き込む新たな「経済循環」が形成されて行く可能性が出てくる、と筆者は考えるからだ。</p>
	<p>　つまり、林業・農業の活性化は一般に認識されているような単なる一次産業のレベルに留まらず、更にその地域の二次産業にも三次産業にも波及可能な、ダイナミックな経済的可能性をもち得る、というのが筆者の認識なのである。</p>
	<p>　まずは林業からその可能性を見ていくことにしよう。</p>
	<p>　<a href="/modules/shop/index.php?main_page=product_info&amp;cPath=3&amp;products_id=79" target=_blank><font color=#0000ff>『明日への選択』７月号</font></a>では、京都議定書におけるわが国の温室効果ガス削減義務六パーセントのうち、三・八パーセントがわが国の森林の温室効果ガス吸収能力により賄われることになっていることを指摘した。むろん、そのためにはここ二、三十年、荒れるまま放置され、手つかずになっている森林の再生・保全がまず必要とされる。わが国の森林をそれだけの温室効果ガスが吸収可能な「管理された森林」にして行くことが義務として求められるからだ。具体的にいうと、この六年間で三三〇万ヘクタールという関東地方の広さにも等しい森林の間伐が求められることになる。</p>
	<p>　当然のことながら、こうした動きはこれまで衰退一方にあった各地の林業に対するかつてない追い風になって行くであろうことはいうまでもない。「伐っても赤字が増えるだけ」と、荒廃するまま放置されてきたわが国の森林（とりわけ民有の人工林）に、保全・再生の一大インセンティブが働き始めることになるからだ。種々の報道にもあるように、国はこれを巨額の補助金で後押しし、第一線に立つ各地の森林組合はこれを機会に、作業の機械化、集約化、そして高齢化した作業員の若返りを精力的に進めようとしている。</p>
	<p>　とはいえ、だからといって、いきなり林業が活性化し始めるという話ではない。現状は、まずは作業効率化のために高性能林業機械（伐採用の特殊車両）を導入し、その機械を山奥の現場にまで入れるための「路網」を開設し、更に安定した作業量の確保のために、所有者の異なる山林をある程度の作業規模に取りまとめる「施業の集約化」といった前段の作業にようやく眼が向き始めた、というのが実際のところであるからだ。いわば林業を採算のとれる産業にして行くための胎動がようやく始まった段階、といえようか。</p>
	<p>　それでは、この林業を更に冒頭にも述べたような地方経済活性化の力強い現実的な起動力たらしめて行くためには、これからどのようなことが必要になって行くのだろうか。<font color=#0000ff size=1>→続きは『明日への選択』８月号でお読みになれます。</font></p>
	<p>【本稿の主な内容】</p>
	<p>　・地域林業システムの事業体化</p>
	<p>　・森林を「利用し尽す」総合業へ</p>
	<p>　・農業も食料総合業へ</p>
	<p>　・都市の活力を農村に</p>
	<p align=right>（日本政策研究センター代表　伊藤哲夫）</p>
<font size=1><a href="/modules/shop/index.php?main_page=product_info&amp;products_id=47"></p>
	<p align=right><font color=#0000ff size=1>→続きは『明日への選択』８月号でお読みになれます。お申し込みはこちら</font></p>
</a></font>
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>【恵岡隆一レポート№42】福田改造内閣と米朝「検証」協議の危うさ</title>
		<link>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=563</link>
		<comments>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=563#comments</comments>
		<pubDate>Fri,  1 Aug 2008 16:23:35 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;i&amp;#110;&amp;#102;&amp;#111;&amp;#64;se&amp;#105;sa&amp;#107;&amp;#117;&amp;#45;&amp;#99;en&amp;#116;&amp;#101;r&amp;#46;&amp;#110;e&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>朝鮮半島研究プロジェクト</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=563</guid>
		<description>	朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年8月1日【恵岡隆一レポート№42】
福田改造内閣と米朝「検証」協議の危うさ
&amp;nbsp;
◆中山恭子・拉致問題担当大臣に
　福田改造内閣の顔ぶれが、8月１日夕刻、発表された。
　中山恭子氏が、拉致問題担当大臣に就任した（少子化、男女共同参画、公文書管理担当も兼任）。補佐官時代よりはるかに強い権限を主張できよう。大臣となれば、対北宥和的な閣議決定が行われそうな場合、署名を拒否して、白紙化するか自分を罷免するかと迫ることもできる。
　現在の外務省首脳部は、北の思惑通りの“口約束対制裁緩和”を「行動対行動」と言いくるめて押し通そうとするなど、およそ信用できない。
　中山氏には、「拉致問題担当大臣」というポジションを対北締め付け強化の方向に生かすべく、積極的に世論の動員を図ってもらいたい。もっとも、男女共同参画、少子化担当も兼任というあたりは気になる。この分野は、官僚機構、審議会委員などにフェミ・ナチ勢力が浸透している（Feminazi. フェミニストとナチの合成語。アメリカの人気保守派トーク・ショー・ホスト、ラッシュ・リンボーが広めた）。
　社会問題に関する中山氏の立ち位置はよく知らないが、下から上がってくる案を安易に採用すると、拉致問題で中山氏を支える保守派の反発を買いかねない。ここでも、安倍晋三氏や山谷えり子に十分相談して欲しいところだ。以上、内閣改造に当たって、一言感想を述べた。
　なお、次の三大臣は、制裁解除に積極的な日朝国交正常化推進議員連盟（山崎拓会長）に属している（平成20年5月22日現在）。深い意識もなく参加したケースもあろうが、今後の動きに注意したい。
	・林幹雄（国家公安・沖縄北方・防災担当）
・茂木敏充（金融・行革・公務員制度改革担当）
・保岡興治（法務）
&amp;nbsp;
◆日朝正常化議連の役員
　日朝正常化議連（通称・山拓議連）幹部の口から、いまだに、「帰国した5人の被害者を送り返すべきだった」という加藤紘一（同議連顧問）発言への批判の声は聞かれない。もはや“同罪”と見る以外ないだろう。
　近々、拉致被害者を「救う会」が、同議連の名簿をウェブ・サイトに掲げる予定だが、取りあえず役員のみ列記しておく。社民、共産からの参加がない拉致議連（平沼赳夫会長）と異なり、まさに超党派の議連である。対北宥和派が水面下で広くネットワークを築いていた様子が窺える。
	会長　山崎拓（自民）顧問　加藤紘一（自民）顧問　菅直人（民主）顧問　東順治（公明）顧問　福島みずほ（社民）顧問　亀井静香（国民）筆頭副会長　岩國哲人（民主）副会長　衛藤征士郎（自民）副会長　遠藤乙彦（公明）副会長　笠井亮（共産）副会長　自見庄三郎（民主）副会長　又市征治（社民）事務局長　川上義博（民主）幹事　土肥隆一（民主）幹事　中谷元（自民）幹事　山内徳信（社民）幹事　山下芳生（共産）会計監査　田野瀬良太郎（自民）（上記議連が設立された平成20年5月22日現在のデータ）&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;
&amp;nbsp;
◆“不完全申告の検証”という欺瞞
　米国家安全保障会議（NSC）のデニス・ワイルダー・アジア上級部長が、7月30日記者団に対し、北の核申告に関わる「検証手続き」で同意が得られない限り、テロ支援国指定の「解除は起きない」と明言したという。
　が、そもそも申告内容が不完全なことが問題なのであり、不完全な申告をどう検証するかという課題設定自体が欺瞞でしかない。
　米国務省は、31日、ソン・キム六者協議担当特使を北京での米朝実務者協議に派遣するなど、「検証手続き」における「前進」をアピールして、テロ指定解除を予定通り実現しようとしている。
　拉致議連・家族会・救う会が連名で米国全議員宛に送った書簡（7月23日）から、関連部分を引用しておく。http://island.iza.ne.jp/blog/entry/663223/
	　今や、北朝鮮の核申告が｢完全かつ正確｣からほど遠いことは、誰の目にも明らかである。プルトニウムの量についてのみ申告があったが、核兵器製造施設の場所など極めて重要な情報が抜け落ちている。ウラン濃縮の実態や核拡散についても何ら申告がなされていない。こうした露骨に「不完全」な申告を受け入れた上で、それが「正確」かどうかの検証手続きを議論するというのは欺瞞でしかない。
　しかも、7月12日に出された六者協議首席代表「報道発表文」を見ると、その検証手続きすら、きわめて曖昧である。申告が不完全で、かつ部分的検証すらできていない段階で、なぜ、テロ国家指定を解除するのか、率直に言って、われわれには理解できない。
　欺瞞的「前進」は何ら評価しないし、したがってエネルギー支援その他の資金提供にも応じられないという姿勢を日本政府が貫けるか、テロ指定解除予定日の8月11日前後にも、重要な局面を迎えよう。
（島田洋一）
レポート一覧はこちら

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><font color=#0000ff>朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年8月1日<br />【恵岡隆一レポート№42】</font></p>
	<h2><font color=#0000ff>福田改造内閣と米朝「検証」協議の危うさ</font></h2>
	<h3>&nbsp;</h3>
	<h3>◆中山恭子・拉致問題担当大臣に</h3>
	<p>　福田改造内閣の顔ぶれが、8月１日夕刻、発表された。</p>
	<p>　中山恭子氏が、拉致問題担当大臣に就任した（少子化、男女共同参画、公文書管理担当も兼任）。補佐官時代よりはるかに強い権限を主張できよう。大臣となれば、対北宥和的な閣議決定が行われそうな場合、署名を拒否して、白紙化するか自分を罷免するかと迫ることもできる。</p>
	<p>　現在の外務省首脳部は、北の思惑通りの“口約束対制裁緩和”を「行動対行動」と言いくるめて押し通そうとするなど、およそ信用できない。</p>
	<p>　中山氏には、「拉致問題担当大臣」というポジションを対北締め付け強化の方向に生かすべく、積極的に世論の動員を図ってもらいたい。もっとも、男女共同参画、少子化担当も兼任というあたりは気になる。この分野は、官僚機構、審議会委員などにフェミ・ナチ勢力が浸透している（Feminazi. フェミニストとナチの合成語。アメリカの人気保守派トーク・ショー・ホスト、ラッシュ・リンボーが広めた）。</p>
	<p>　社会問題に関する中山氏の立ち位置はよく知らないが、下から上がってくる案を安易に採用すると、拉致問題で中山氏を支える保守派の反発を買いかねない。ここでも、安倍晋三氏や山谷えり子に十分相談して欲しいところだ。以上、内閣改造に当たって、一言感想を述べた。</p>
	<p>　なお、次の三大臣は、制裁解除に積極的な日朝国交正常化推進議員連盟（山崎拓会長）に属している（平成20年5月22日現在）。深い意識もなく参加したケースもあろうが、今後の動きに注意したい。</p>
	<blockquote dir=ltr style="MARGIN-RIGHT: 0px">
	<p align=left>・林幹雄（国家公安・沖縄北方・防災担当）</p>
	<p align=left>・茂木敏充（金融・行革・公務員制度改革担当）</p>
	<p align=left>・保岡興治（法務）</p></blockquote>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆日朝正常化議連の役員</h3>
	<p>　日朝正常化議連（通称・山拓議連）幹部の口から、いまだに、「帰国した5人の被害者を送り返すべきだった」という加藤紘一（同議連顧問）発言への批判の声は聞かれない。もはや“同罪”と見る以外ないだろう。</p>
	<p>　近々、拉致被害者を「救う会」が、同議連の名簿をウェブ・サイトに掲げる予定だが、取りあえず役員のみ列記しておく。社民、共産からの参加がない拉致議連（平沼赳夫会長）と異なり、まさに超党派の議連である。対北宥和派が水面下で広くネットワークを築いていた様子が窺える。</p>
	<blockquote dir=ltr style="MARGIN-RIGHT: 0px">
	<p>会長　山崎拓（自民）<br />顧問　加藤紘一（自民）<br />顧問　菅直人（民主）<br />顧問　東順治（公明）<br />顧問　福島みずほ（社民）<br />顧問　亀井静香（国民）<br />筆頭副会長　岩國哲人（民主）<br />副会長　衛藤征士郎（自民）<br />副会長　遠藤乙彦（公明）<br />副会長　笠井亮（共産）<br />副会長　自見庄三郎（民主）<br />副会長　又市征治（社民）<br />事務局長　川上義博（民主）<br />幹事　土肥隆一（民主）<br />幹事　中谷元（自民）<br />幹事　山内徳信（社民）<br />幹事　山下芳生（共産）<br />会計監査　田野瀬良太郎（自民）<br />（上記議連が設立された平成20年5月22日現在のデータ）&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;</p></blockquote>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆“不完全申告の検証”という欺瞞</h3>
	<p>　米国家安全保障会議（NSC）のデニス・ワイルダー・アジア上級部長が、7月30日記者団に対し、北の核申告に関わる「検証手続き」で同意が得られない限り、テロ支援国指定の「解除は起きない」と明言したという。</p>
	<p>　が、そもそも申告内容が不完全なことが問題なのであり、不完全な申告をどう検証するかという課題設定自体が欺瞞でしかない。</p>
	<p>　米国務省は、31日、ソン・キム六者協議担当特使を北京での米朝実務者協議に派遣するなど、「検証手続き」における「前進」をアピールして、テロ指定解除を予定通り実現しようとしている。</p>
	<p>　拉致議連・家族会・救う会が連名で米国全議員宛に送った書簡（7月23日）から、関連部分を引用しておく。<a href="http://island.iza.ne.jp/blog/entry/663223/">http://island.iza.ne.jp/blog/entry/663223/</a></p>
	<blockquote dir=ltr style="MARGIN-RIGHT: 0px">
	<p>　今や、北朝鮮の核申告が｢完全かつ正確｣からほど遠いことは、誰の目にも明らかである。プルトニウムの量についてのみ申告があったが、核兵器製造施設の場所など極めて重要な情報が抜け落ちている。ウラン濃縮の実態や核拡散についても何ら申告がなされていない。こうした露骨に「不完全」な申告を受け入れた上で、それが「正確」かどうかの検証手続きを議論するというのは欺瞞でしかない。</p>
	<p>　しかも、7月12日に出された六者協議首席代表「報道発表文」を見ると、その検証手続きすら、きわめて曖昧である。申告が不完全で、かつ部分的検証すらできていない段階で、なぜ、テロ国家指定を解除するのか、率直に言って、われわれには理解できない。</p>
	<p>　欺瞞的「前進」は何ら評価しないし、したがってエネルギー支援その他の資金提供にも応じられないという姿勢を日本政府が貫けるか、テロ指定解除予定日の8月11日前後にも、重要な局面を迎えよう。</p></blockquote>
	<p align=right>（島田洋一）</p>
	<p align=right><a href="/modules/wordpress/index.php?cat=29">レポート一覧はこちら</a></p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>迷走・石原知事への苦言</title>
		<link>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=562</link>
		<comments>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=562#comments</comments>
		<pubDate>Fri,  1 Aug 2008 10:40:03 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&amp;#105;&amp;#110;&amp;#102;&amp;#111;&amp;#64;s&amp;#101;&amp;#105;&amp;#115;ak&amp;#117;-&amp;#99;&amp;#101;nte&amp;#114;&amp;#46;&amp;#110;et&gt;</author>
		
	<category>主張（過去一年分）</category>
	<category>皇室典範・天皇</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=562</guid>
		<description>	迷走・石原知事への苦言
&amp;nbsp;
　われわれ日本再生を願う者にとって、長らく「希望の星」だった石原都知事が、最近、少々迷走気味に思えてならない。新銀行東京への新出資問題の時もそう感じたのだが、先日の東京オリンピック招致活動に皇太子殿下の協力をお願いしたい、とした知事の一連の発言に対し、とりわけそれを感じた。「保守派としてのメッキが剥げ始めた」などと、聞いてきたようなことをいうつもりはないが、ご皇室に関わる問題に対してはもっと慎重に、その意味するところを深く考えて発言するのが、真の政治家ではないかと思う。
　問題は七月一日、都知事が福田首相を訪ね、皇太子殿下に東京オリンピック招致に協力していただけるよう、政府に対し正式に要請したことに始まる（森元首相も同席）。実はその時、皇太子殿下が七月中旬にスペインをご訪問される際、同行予定の森元首相にその機会を利用して直接殿下にご意向をお尋ねしていただく、などとといった話もあったとされ、それが表に出たわけだ。
　これに対し同四日、宮内庁の野村一成東宮大夫が「招致活動の段階から（殿下が）関わることは難しい」と述べ、その理由として「招致活動には政治的な要素が強いこともあるし、すでに決まった式典に出席されるのとは違う話だ」と、この提案に否定的な見解を示したという（産経７・５）。宮内庁としては聞き捨てにはできない発言だったのだろう。
　ところが、これに石原知事は激しく反発した。「宮内庁ごときが決めることじゃない。国家の問題なんだから。木っ端役人が、こんな大事な問題、宮内庁の見解で決めるんじゃない」とまで痛烈に批判したと報じられた（朝日・同日付）。
　さて、あらましの経過はこういうことだが、筆者は念のためにこれに関わる知事の発言を改めて調べてみることにした。そして、知事の皇室観というものが、残念ながら実に浅薄きわまりないものであることを改めて思い知らされたのである。知事は殿下にオリンピック招致運動の「旗頭」として働いてもらいたいなどとも述べているが、要はご皇室の本質、あるいはそのあるべき姿について、大きな勘違いをしているらしいということなのだ。以下の発言を読者はどう感じられるだろうか。
	　「皇太子がコペンハーゲン（来年十月に予定されているＩＯＣ総会のこと）にいらしてね、日本のために一席、とにかく弁じていただくことに反対する理由は誰もないと思うし、むしろ国民は圧倒的に支持すると思いますけど……」
　「皇室は国民、国家のためにあるんでしょう。皇室の方々が国事に協力されるのは結構なことで……」
　果たしてご皇室はこのような「コンペ」まがいの場にお出ましになられて、各国のＩＯＣ委員を説得するために、「一席、弁じられる」というような勧誘員のようなお仕事をなされるご存在なのだろうか。知事はオリンピック招致はナショナル・イベントであり、国家を賭けている事業なんだと息巻くが、少なくとも招致の段階に関していう限り、それは未だ虚々実々のセールスともいうべき段階であり、とてもご皇室が「協力」されたり、関わられるべき段階のお仕事ではない。
　天皇陛下が国事行為をなされる時のように、既に他のしかるべき場で決定がなされたことを、それを正統なものとして権威づけるためにお出ましになられるのが天皇あるいはご皇室の役割で、それが憲法の趣旨でもある。その意味で「皇室外交」などという言葉も誤解を呼びやすい言葉で、使うなら余程注意して使うべき言葉だと筆者は併せて思う。ご皇室がなされるのは外交を超え、国家と国家の「ご交際」をなされるということである筈であり、決してそれは政治レベルの話ではないのだ。
　とはいえ、もっと気になってならなかったのは、知事が終始一貫、皇太子、皇太子と、殿下を呼び捨てにしていたことである。のみならず、その違和感を記者に問われ、売り言葉に買い言葉とはいえ、以下のような暴言さえ発していたことだ。
　「皇太子って皇太子じゃない。天皇は天皇じゃない。『天皇陛下』って言わなくちゃいけないの」
　それなら、国民の全てがこのように呼び捨てにし始めたとしたらどうだろう。ご皇室の「尊厳」は保たれるのか。聡明な知事なら、そんなこと当然想像がつく筈ではないか。（日本政策研究センター代表　伊藤哲夫）
〈今月の主張／『明日への選択』平成20年8月号〉

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<h2><font color=#0000ff>迷走・石原知事への苦言</font></h2>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>　われわれ日本再生を願う者にとって、長らく「希望の星」だった石原都知事が、最近、少々迷走気味に思えてならない。新銀行東京への新出資問題の時もそう感じたのだが、先日の東京オリンピック招致活動に皇太子殿下の協力をお願いしたい、とした知事の一連の発言に対し、とりわけそれを感じた。「保守派としてのメッキが剥げ始めた」などと、聞いてきたようなことをいうつもりはないが、ご皇室に関わる問題に対してはもっと慎重に、その意味するところを深く考えて発言するのが、真の政治家ではないかと思う。</p>
	<p>　問題は七月一日、都知事が福田首相を訪ね、皇太子殿下に東京オリンピック招致に協力していただけるよう、政府に対し正式に要請したことに始まる（森元首相も同席）。実はその時、皇太子殿下が七月中旬にスペインをご訪問される際、同行予定の森元首相にその機会を利用して直接殿下にご意向をお尋ねしていただく、などとといった話もあったとされ、それが表に出たわけだ。</p>
	<p>　これに対し同四日、宮内庁の野村一成東宮大夫が「招致活動の段階から（殿下が）関わることは難しい」と述べ、その理由として「招致活動には政治的な要素が強いこともあるし、すでに決まった式典に出席されるのとは違う話だ」と、この提案に否定的な見解を示したという（産経７・５）。宮内庁としては聞き捨てにはできない発言だったのだろう。</p>
	<p>　ところが、これに石原知事は激しく反発した。「宮内庁ごときが決めることじゃない。国家の問題なんだから。木っ端役人が、こんな大事な問題、宮内庁の見解で決めるんじゃない」とまで痛烈に批判したと報じられた（朝日・同日付）。</p>
	<p>　さて、あらましの経過はこういうことだが、筆者は念のためにこれに関わる知事の発言を改めて調べてみることにした。そして、知事の皇室観というものが、残念ながら実に浅薄きわまりないものであることを改めて思い知らされたのである。知事は殿下にオリンピック招致運動の「旗頭」として働いてもらいたいなどとも述べているが、要はご皇室の本質、あるいはそのあるべき姿について、大きな勘違いをしているらしいということなのだ。以下の発言を読者はどう感じられるだろうか。</p>
	<blockquote dir=ltr style="MARGIN-RIGHT: 0px">
	<p>　「皇太子がコペンハーゲン（来年十月に予定されているＩＯＣ総会のこと）にいらしてね、日本のために一席、とにかく弁じていただくことに反対する理由は誰もないと思うし、むしろ国民は圧倒的に支持すると思いますけど……」</p>
	<p>　「皇室は国民、国家のためにあるんでしょう。皇室の方々が国事に協力されるのは結構なことで……」</p></blockquote>
	<p>　果たしてご皇室はこのような「コンペ」まがいの場にお出ましになられて、各国のＩＯＣ委員を説得するために、「一席、弁じられる」というような勧誘員のようなお仕事をなされるご存在なのだろうか。知事はオリンピック招致はナショナル・イベントであり、国家を賭けている事業なんだと息巻くが、少なくとも招致の段階に関していう限り、それは未だ虚々実々のセールスともいうべき段階であり、とてもご皇室が「協力」されたり、関わられるべき段階のお仕事ではない。</p>
	<p>　天皇陛下が国事行為をなされる時のように、既に他のしかるべき場で決定がなされたことを、それを正統なものとして権威づけるためにお出ましになられるのが天皇あるいはご皇室の役割で、それが憲法の趣旨でもある。その意味で「皇室外交」などという言葉も誤解を呼びやすい言葉で、使うなら余程注意して使うべき言葉だと筆者は併せて思う。ご皇室がなされるのは外交を超え、国家と国家の「ご交際」をなされるということである筈であり、決してそれは政治レベルの話ではないのだ。</p>
	<p>　とはいえ、もっと気になってならなかったのは、知事が終始一貫、皇太子、皇太子と、殿下を呼び捨てにしていたことである。のみならず、その違和感を記者に問われ、売り言葉に買い言葉とはいえ、以下のような暴言さえ発していたことだ。</p>
	<p>　「皇太子って皇太子じゃない。天皇は天皇じゃない。『天皇陛下』って言わなくちゃいけないの」</p>
	<p>　それなら、国民の全てがこのように呼び捨てにし始めたとしたらどうだろう。ご皇室の「尊厳」は保たれるのか。聡明な知事なら、そんなこと当然想像がつく筈ではないか。（日本政策研究センター代表　伊藤哲夫）</p>
	<p align=right><font size=1>〈今月の主張／『明日への選択』平成20年8月号〉</font></p>
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	</item>
		<item>
		<title>【恵岡隆一レポート№41】加藤紘一発言に怒りの声</title>
		<link>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=561</link>
		<comments>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=561#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 25 Jul 2008 20:38:22 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&amp;#105;&amp;#110;&amp;#102;&amp;#111;&amp;#64;se&amp;#105;&amp;#115;&amp;#97;k&amp;#117;-&amp;#99;e&amp;#110;te&amp;#114;&amp;#46;ne&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>朝鮮半島研究プロジェクト</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=561</guid>
		<description>	朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年7月25日【恵岡隆一レポート№41】
加藤紘一発言に怒りの声
&amp;nbsp;
◆被害者家族の怒りの抗議文に多数の支持
　７月７日に加藤紘一氏が、帰国した拉致被害者５人について、「国家と国家の約束だから、（北に戻した方が）よかった」と発言したことに対し、７月９日の救う会のメールニュースで「不見識きわまりない加藤紘一氏の発言に抗議する」を発信し、１０日のメールニュースで「本当に腹が立つ－地村保さんが加藤紘一議員に怒りの抗議文」を発信して以降、救う会のホームページがアクセス困難となった。この時点で、救う会でも救う会のホームページにアクセスできなくなった。
	&amp;nbsp; この１週間のアクセス数を調べると、下記の結果であった。&amp;nbsp; ８日　　約　８万アクセス、　　９日　約１８５万アクセス&amp;nbsp; １０日　約４４万アクセス、　１１日　約１３９万アクセス&amp;nbsp; １２日　約　９万アクセス、　１３日　約　　８万アクセス
　このアクセス数のカウント法は、一人がアクセスして何箇所も検索すればそれがすべてアクセス数にカウントされるというもので、アクセス人数ではない。人数では、９日も１１日も約６万人であった。また、９日、１１日はアクセス数が多かったため、カウントされなかったアクセスがかなり多かったようだ。
　救う会ホームページのアクセス人数の累計はこれまで約２２５万人となっている。
　アクセスした人数が多かったということは、拉致被害者家族の抗議文への支持表明とともに、加藤氏の拉致や北朝鮮に対する認識以上に、人命や人権に対する感受性、すなわち加藤氏の人間性に対する日本国民の怒りの表れだったに違いない。拉致被害者もその家族会も、もう３０年も会えない「生き地獄」が続いているが、多くの日本人はその「痛み」に共感し、「痛み」を理解している。しかし、加藤氏にはその「痛み」が感じられないのであろうと思われる。また、日本は北朝鮮とは逆に、言論の自由、法の支配が保障された国であるが、「犯人（北朝鮮）のもとに５人の被害者を返せばよかった」という加藤氏の発言は、言論の自由、法の支配の原則をも超えた暴言である。
　なお、加藤紘一発言については、山形県人からの批判も含め、救う会に多数の批判メールも寄せられた。
　加藤氏は、７月９日の自身のホームページで言い訳にならない弁明をしている。要するにこちらが北朝鮮に善意を示せば善意が帰ってくるという、信じがたい「外交感覚」を示したものである。加藤氏が幹事長の時に主導して、５０万トンのコメを北朝鮮に支援したにも関わらず、何の善意も返されず、コメを「ただ取り」されたことは忘れているようだ。
&amp;nbsp;
◆国交正常化に動く６０名の国会議員
　最近、北朝鮮の立場を支持して様々な発言をする議員が多いが、かれらも人の「痛み」に鈍感な人々である。それだけならば、拉致問題に無関心ですますだろう。しかし、国交正常化は国益のためと称しつつ、北朝鮮の立場に積極的に同調する人々が少なくない。
　５月下旬には、議員連盟「朝鮮半島問題研究会」の岩國哲人会長（民主党元副代表）が、「日本国民は拉致問題に拉致され、自縄自縛に陥っている」と、大阪経済法科大アジア太平洋研究センターで語った。また、取材に対し、「環境、経済交流、災害援助、食糧危機の問題もある。拉致問題にこだわって対話ができない状況は両国に有利ではない」と述べている。
　国民の良識が、拉致問題の解決のために犯罪国家北朝鮮への制裁を当然としていることにつき、国交正常化をめざす立場の岩國氏が苛立ちを覚えたのであろう。しかし、北朝鮮に対し、日本人拉致被害者の人権侵害を追及せず、北朝鮮人民の人権侵害が金正日政権の独裁政治によるものであることも追求しないのはなぜなのか。いかがわしい疑いが残ると思わざるをえない。
　５月２２日には、「日朝国交正常化推進議員連盟」が発足した。上記加藤紘一氏が顧問となり、自民党の山崎拓元副総裁が会長に就任した。
　山崎氏は、「平壌宣言が発表されて６年近くの歳月が過ぎているが、日朝間の諸懸案はまったく進展を見ていない」、「何としても状況を打開したい。連盟側としては議員外交の立場で政府を後押しする」と述べている。犯罪国家北朝鮮となぜ国交正常化しようとするのか、多くの国民には理解できないだろう。「平壌宣言に基づく諸懸案の包括的解決につながると判断された場合に超党派の訪朝団を構成したい」とも抱負を語っている。&amp;nbsp;　正常化議連には、衆議院議員４０名、参議院議員２０名が入会している。カネは送れなくなった朝鮮総連であるが、国会、地方議会工作能力は警戒すべきだ。（平田隆太郎）
レポート一覧はこちら

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><font color=#0000ff>朝鮮半島研究プロジェクト通信　平成20年7月25日<br />【恵岡隆一レポート№41】</font></p>
	<h2><font color=#0000ff>加藤紘一発言に怒りの声</font></h2>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆被害者家族の怒りの抗議文に多数の支持</h3>
	<p>　７月７日に加藤紘一氏が、帰国した拉致被害者５人について、「国家と国家の約束だから、（北に戻した方が）よかった」と発言したことに対し、７月９日の救う会のメールニュースで「不見識きわまりない加藤紘一氏の発言に抗議する」を発信し、１０日のメールニュースで「本当に腹が立つ－地村保さんが加藤紘一議員に怒りの抗議文」を発信して以降、救う会のホームページがアクセス困難となった。この時点で、救う会でも救う会のホームページにアクセスできなくなった。</p>
	<blockquote dir=ltr style="MARGIN-RIGHT: 0px">
	<p>&nbsp; この１週間のアクセス数を調べると、下記の結果であった。<br />&nbsp; ８日　　約　８万アクセス、　　９日　約１８５万アクセス<br />&nbsp; １０日　約４４万アクセス、　１１日　約１３９万アクセス<br />&nbsp; １２日　約　９万アクセス、　１３日　約　　８万アクセス</p></blockquote>
	<p>　このアクセス数のカウント法は、一人がアクセスして何箇所も検索すればそれがすべてアクセス数にカウントされるというもので、アクセス人数ではない。人数では、９日も１１日も約６万人であった。また、９日、１１日はアクセス数が多かったため、カウントされなかったアクセスがかなり多かったようだ。</p>
	<p>　救う会ホームページのアクセス人数の累計はこれまで約２２５万人となっている。</p>
	<p>　アクセスした人数が多かったということは、拉致被害者家族の抗議文への支持表明とともに、加藤氏の拉致や北朝鮮に対する認識以上に、人命や人権に対する感受性、すなわち加藤氏の人間性に対する日本国民の怒りの表れだったに違いない。拉致被害者もその家族会も、もう３０年も会えない「生き地獄」が続いているが、多くの日本人はその「痛み」に共感し、「痛み」を理解している。しかし、加藤氏にはその「痛み」が感じられないのであろうと思われる。また、日本は北朝鮮とは逆に、言論の自由、法の支配が保障された国であるが、「犯人（北朝鮮）のもとに５人の被害者を返せばよかった」という加藤氏の発言は、言論の自由、法の支配の原則をも超えた暴言である。</p>
	<p>　なお、加藤紘一発言については、山形県人からの批判も含め、救う会に多数の批判メールも寄せられた。</p>
	<p>　加藤氏は、７月９日の自身のホームページで言い訳にならない弁明をしている。要するにこちらが北朝鮮に善意を示せば善意が帰ってくるという、信じがたい「外交感覚」を示したものである。加藤氏が幹事長の時に主導して、５０万トンのコメを北朝鮮に支援したにも関わらず、何の善意も返されず、コメを「ただ取り」されたことは忘れているようだ。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<h3>◆国交正常化に動く６０名の国会議員</h3>
	<p>　最近、北朝鮮の立場を支持して様々な発言をする議員が多いが、かれらも人の「痛み」に鈍感な人々である。それだけならば、拉致問題に無関心ですますだろう。しかし、国交正常化は国益のためと称しつつ、北朝鮮の立場に積極的に同調する人々が少なくない。</p>
	<p>　５月下旬には、議員連盟「朝鮮半島問題研究会」の岩國哲人会長（民主党元副代表）が、「日本国民は拉致問題に拉致され、自縄自縛に陥っている」と、大阪経済法科大アジア太平洋研究センターで語った。また、取材に対し、「環境、経済交流、災害援助、食糧危機の問題もある。拉致問題にこだわって対話ができない状況は両国に有利ではない」と述べている。</p>
	<p>　国民の良識が、拉致問題の解決のために犯罪国家北朝鮮への制裁を当然としていることにつき、国交正常化をめざす立場の岩國氏が苛立ちを覚えたのであろう。しかし、北朝鮮に対し、日本人拉致被害者の人権侵害を追及せず、北朝鮮人民の人権侵害が金正日政権の独裁政治によるものであることも追求しないのはなぜなのか。いかがわしい疑いが残ると思わざるをえない。</p>
	<p>　５月２２日には、「日朝国交正常化推進議員連盟」が発足した。上記加藤紘一氏が顧問となり、自民党の山崎拓元副総裁が会長に就任した。</p>
	<p>　山崎氏は、「平壌宣言が発表されて６年近くの歳月が過ぎているが、日朝間の諸懸案はまったく進展を見ていない」、「何としても状況を打開したい。連盟側としては議員外交の立場で政府を後押しする」と述べている。犯罪国家北朝鮮となぜ国交正常化しようとするのか、多くの国民には理解できないだろう。「平壌宣言に基づく諸懸案の包括的解決につながると判断された場合に超党派の訪朝団を構成したい」とも抱負を語っている。<br />&nbsp;<br />　正常化議連には、衆議院議員４０名、参議院議員２０名が入会している。カネは送れなくなった朝鮮総連であるが、国会、地方議会工作能力は警戒すべきだ。（平田隆太郎）</p>
<a href="/modules/wordpress/index.php?cat=29"></p>
	<p align=right>レポート一覧はこちら</p>
</a>
</p>
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	</item>
		<item>
		<title>日本を「移民国家」にしてもよいのか</title>
		<link>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=560</link>
		<comments>http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=560#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Jul 2008 12:14:29 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;in&amp;#102;&amp;#111;&amp;#64;se&amp;#105;&amp;#115;aku&amp;#45;ce&amp;#110;t&amp;#101;&amp;#114;&amp;#46;&amp;#110;&amp;#101;&amp;#116;&gt;</author>
		
	<category>トピックス一覧</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=560</guid>
		<description>	日本を「移民国家」にしてもよいのか
五十年後には一千万減少する労働人口を「移民」によって補完しようという中川提言。しかし、話はそんなに簡単ではない。暴動、犯罪、テロの温床……ヨーロッパの「移民国家」の教訓をまず学ぶべきだ。
&amp;nbsp;
　「一〇〇〇万人移民」「移民国家」――大きくはなかったが、衝撃的な記事が六月二十日の各紙